5年前から自由が丘の加藤千恵洋菓子教室に通っています。この三月に卒業となり、免状をもらえることになっています。山梨県韮崎市に住んでいるのですが、韮崎駅から5分と立地条件がいいので、思い切って教室を始めることにしました。会員の方で、韮崎市周辺にお住まいの方、詳細を送りますので、いらしてください。
電話番号 0551-22-0121
メールアドレス anneof@xj9.so-net.ne.jp
投稿者:望月 磨理 インドネシア語1976年卒業
5年前から自由が丘の加藤千恵洋菓子教室に通っています。この三月に卒業となり、免状をもらえることになっています。山梨県韮崎市に住んでいるのですが、韮崎駅から5分と立地条件がいいので、思い切って教室を始めることにしました。会員の方で、韮崎市周辺にお住まいの方、詳細を送りますので、いらしてください。
電話番号 0551-22-0121
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投稿者:望月 磨理 インドネシア語1976年卒業
《思いがけない出会いが重なって、折口信夫「死者の書」を映画の中で朗読することになりました。》
映画「熊野からロマネスク」公式ホームページ
2月18日より
東京 シアターイメージフォーラムにてモーニングショー公開予定
11時10分より 毎日1回上映(3月10日まで)
この映画の監督は高校の同級生 田中千世子さん、御茶ノ水女子大学国文科卒業後、高校英語教諭のかたわら執筆していた映画評論で認められ、映画評論家として活躍し、自らメガホンを取ってこれが 9作目の作品です。
西洋音楽一辺倒だった私が能に辿り着き、朗読をするようになった経緯は・・・
小学生の間ヴァイオリンを習い、美術よりはるかに音楽好きの私は、外大に入学したものの、大学紛争まっただ中、授業はなくてもオーケストラはあるという状況の下で、直ちにその一員となり、後にコンサートマスターを任されるという望外の成り行きが待っていました。しかも当時 東京芸大から迎えていた学生指揮者は矢崎彦太郎氏に次いで、小泉和裕氏が来られ、その後の両氏の活躍を知れば実に幸運な経験でした。
物心ついてからの私は西洋音楽ばかりでしたが、杉並に住んでいた幼い日、近所のお宅から謡を稽古する声が聞こえていた記憶が呼び覚まされると、それが意識下で重奏低音のように密やかに鳴っていたのかもしれない、と思うようになりました。
学生時代から表千家茶道に親しんでいたものの、静かなものだけでは物足りなく、かねてから剣道に憧れていた私に、武道の世界へ扉が開いたのはすでに不惑の歳でした。なぎなたを始めて数年経った時に田中監督から観能に誘われるようになり、自らも金剛流の稽古を始めました。すでに知命を越えていたものの、初めての師が金剛流の名手・豊嶋訓三先生であったことは奇跡というほかありません。
たちまち謡にのめりこみ、ようやくイロハが少し分かりかけてきた一昨々年、師が急逝されました。
その頃通っていた平家物語講座では毎回音読しており、古典朗読に興味を抱き始めていました。茶道にも能にも古典は不可欠なものです。そして偶然、古典朗読コンテストの最終審査が京都・金剛能楽堂で行われる事を知り、もとより憧れの金剛能楽堂!ですから、応募してみるとまさか?の次点、京都府知事賞を戴いてしまいました。人生何が起こるか分からない、とはよく言ったものです。
近所の洗足池図書館で館長さんと知らずに雑談したのが契機となり、図書館の文化活動を増やしたいとの希望があって朗読会開催が決まりました。
第一回目は、山本周五郎「狐」、小泉八雲「停車場にて」そして、三島由紀夫「葉隠入門」抜粋を選びました。朗読会とはいえ、朗読に加えて自分なりの解説や色々の発見などもお話ししています。
この時は初回でしたから友人数人に案内を出し、1時間余りを聴いてくれた中に田中監督がいました。旬日後、撮影中の映画の中で朗読を、と依頼された作品は「死者の書」でした。些か怖気づきましたが本がすでに本棚に在り、音読を繰り返す内に、文字を目で追うだけでは感じられなかったものが見えてきたのです。たしかに折口は口承を重んじる人でしたから、作品が音読されることは当然視野に入っていたに相違ありません。
皆さま、お忙しくお過ごしと存じますが、 映画をご覧いただき、映画と折口の魅力あふれる世界観に触れていただきましたら、これに勝る幸せはありません。ご高評下さいますよう何とぞ宜しくお願い申し上げます。
主題は何か、とか、監督の意図は?等を暫く措いて、ゆったりと映画に身をたゆたわせるようにご覧いただくのも一興かと思います。
投稿者 : 中村 洋子 中国語 1973年卒業
東京外語会会員である事務局スタッフが東京外語会会員の皆様向け特典サービス先(www.gaigokai.or.jp/tokuten.html)を訪問した体験レポートをお届けします。
その① 特典先「男子厨房に入ろう会」(お料理教室&仲間作り)
【特徴】毎月1回神楽坂あるいは新宿でレッスン(どちらを選んでもOK)。神楽坂の場合は「赤城生涯学習館」で、15~20人位の参加者と共に、数グループでさまざまな料理を作ります。
特に、リタイア後の男性が包丁を握り、得意料理で奥様孝行ができるようになる、課外活動(利き酒、カラオケ、小旅行など)で、前職を忘れた仲間づくりができる、などのメリットがあるそうです。
【事務局体験談】
2016年9月29日(金)神楽坂での講習会に参加。テーマは「わたし(夫のこと)と食べよう、イタリアン」。講師はI科1964年卒 斎藤(さいとう)勉(つとむ)氏。「夏野菜のカポナータ」、「ミネストローネ」、「鶏肉のパプリカ煮」のレシピが配られ、講師のポイント説明後、ただちにスタート。たとえ「短冊切り」が分からなくても同じグループの方が親切に教えてくれます。下ごしらえから完成まで約2,5時間、完成品を皆さんと語らいながら試食。「ここのレシピはよく家でつくる」という声も聞かれました。その後、超特急で使った調理器具、お皿などを洗って散会。「カポナータ」とは何かを知らなかった私たちも、家で早速作ってみました。ところで皆さん、「カポナータ」と「ラタトゥイユ」の違いをご存知ですか?
同会にご興味のある方は、外語会HP会員特典のページ及び詳細をご覧になり、連絡先までお問合せください。女性の方も大歓迎とのことです。
(東京外語会会員特典)http://gaigokai.or.jp/tokuten.html
(男子 厨房に入ろう会)http://gaigokai.or.jp/attachment/tokuten/danshi.pdf
投稿者:外語会事務局:佐伯美穂 D科1983年卒、松村亜矢 D科2001年卒
初めて投稿します馬場由美子です。卒業後は朝日新聞に入社し、盛岡、浜松、熊谷、前橋へ赴任。デカセギから隣人へと変容した日系ブラジル人の現状などを執筆し、同時に事件、選挙、高校野球と「何でもあれ」の記者人生を歩んできました。英字メディアにも6年ほど携わり、現在は東京本社で投稿欄「声」を担当しております。
先月、休暇で訪れたキューバで、フィデル・カストロ氏の死去に遭遇しました。「まさか」の歴史的瞬間に居合わせ、在学中に高橋正明先生のラテンアメリカ現代史ゼミに所属していたこともあり、様々な思いが去来しました。
帰国後、なかなか字になりにくい現地の様子などを、朝日新聞出版のニュースサイトdot.に書きました。
https://dot.asahi.com/dot/2016120900043.html
諸事情から筆名「新井晴」となっています。ご一読いただければ嬉しいです。
投稿者: 馬場 由美子 スペイン語 1992年卒業
LA 国際空港の南に位置するトーランス市(Torrance)に住む娘の結婚式出席のため 4 年ぶりに訪米しました。式は通称「ガラスの教会」と呼ばれる Wayfarers Chapel で 9 月 20 日に執り行われました。婿殿のご両親と娘の友人、職場の同僚・上司の 20 人ほどが参列する手作りの心温まるものでした。そして驚いたことに、当日の思い出に残る写真を撮って頂いた竹部さんは、中国語 95 年卒業の同窓生でした。海を見下ろすチャペルから海辺のリゾートホテル近くの浜辺と、我々夫婦にとっても思い出深い場所で、汗だくになりながら撮影をして下さいました。在米 14 年のプロカメラマンとして活躍中で、山口憲和さん(中国語90 年卒)の後任として外語会 LA 支部幹事の労も取っておられるとのことでした。09 年にお会いした支部最長老の真井三男さん(ロシア語49年卒)は30年近くの滞在を終えて帰国されたとのこと。ハレの日に予想もしなかったこのような出会いがあった事も何かの縁だとつくずく思う事でした。竹部さんの活躍ぶりは http://www.shigie.com でご覧になれます。益々のご活躍を!
投稿者: 前田 六生 ヒンディー語 1974 年卒業
昭和41年アラビア語科卒業の同期生各位
皆さん、その後、お元気でお過ごしですか?伯国の五輪も猛暑も台風も「今は山中、今は浜」の歌のように、どんどん後ろへ飛び去っていきます。こんな風に時が経っていくのですねえ・・・
さて、私は6月25日に多摩キャンパスで催された卒業50周年記念行事に出席しましたので、遅れ馳せで雑駁で恐縮ですが、感想を申し述べます。
(1) アラビア語科1966年(昭和41年)卒業組としては、結局、私だけの出席となりました。遠隔地に住んでいる/体調不調/海外で仕事中/音信不通/想定外の予定ができた/静かにしていたい・・・といったことが不参加の理由でした。
本行事開催をお知らせし、出席を勧誘する経過の中で、各位と電話で話したり、電脳で交信したり、手紙を遣取りしたりしましたが、長いご無沙汰の後でも、各位が、それなりに、確り暮らしている様子が分かって「ああ、よかったなあ・・・」と思いました。今後も、どうか、それなりに平穏無事にお過ごしくださいますようにと願って止みません。
(2) 50年卒業組の代表として英米科の牛尾郁夫さん(文部省審議官で退官)(小生とはサッカー部で一緒に汗を流した仲間です)から、外語卒としての活躍の様子が、外語の後輩への期待が語られました。25年卒業組の代表としては中嶋科野さんが父中嶋嶺雄名誉学長の想い出を語りました。
(3) アトラクションとしては、ダンスクラブの相当上手な社交ダンス!とブラジル研究会のガチャガチャ音楽?が賑々しく披露されました。
それぞれ大したものです。
(4) 記念行事が終わると、ほぼ満員の講堂内が明るく照らし出されました。最上階に座っていた小生からは、頭頂部がつるつるに禿げて、白髪が孫悟空の鉢巻きのように頭を取り囲んでいる参加者が続々と外に出て行くのが見えました。一方、あれ、随分若い女性がいるなあ・・・と思いましたが、そうか、卒業25年組も含めた合同祝賀会だったなあ・・・じゃあ、彼女達は未だ辛うじて50歳未満だ!若いはずだ!と感激しました。
(5) 記念集合写真を撮りました。50年組はほぼ男性ばかり。25年組はほぼ女性ばかりでした。〔東京女子外国語大学〕と別称される状況が実感できました!
(6) その後、学食で懇親会がありました。一期生の中島剣山さん夫妻も参加しました。25年組のアラビア語科からは、5人参加しました。
皆、牧野先生と内記先生と藤田先生の教えを受けています。思い出話に花が咲きました。青山弘之さんは、今、外語で教授としてアラビア語を教えています。
(7) 8月6日(土)恵比寿の日仏会館で〔アラビア語科独自の単独の同窓会〕を発会させようという集いがありました。一期生から四期生のお爺さん世代が数人、世話役のおじさん世代が二三人、後は、現役の女子学生数人とかつての女子学生数十人で会場が埋められ、女子会のような雰囲気で盛り上がりました。
では、皆さん、お元気で・・・
投稿者: 森 雄一郎 アラビア語科1966年卒業
暑中お見舞い申し上げます。
東京外国語大学ヒンディー語、ウルドゥー語、ベンガル語の卒業生の皆さまにおかれましては、ご清祥のことと拝察いたします。さてインダス会では、今年の会報24号を近く刊行する見通しとなりました。同号には、80歳代から40歳代までの同窓生30名余りからの、興味深い原稿が寄せられ、卒業生の歩んだ多彩な人生航路がうかがえます。担当者からの無理なお願いにもかかわらず、ご多忙の合間をぬって執筆された皆様の熱意に、改めて厚く御礼を申し上げます。
★ 24号会報の主な項目・内容(目次の順とは異なります)
① インド留学を支援する画期的な奨学金制度を創設(研究室+インダス会)
② 土井久彌先生・生誕100年の記念特集
③ インドに駐在する方々からの「ユニークなインド便り」、地方在住の方からの寄稿、
④ 諸先生による活動報告(大学研究室の現況など)、
⑤ 震災から5年が経過した被災地からの報告、
⑥ 昨年他界された橋岡氏への追悼、など。
~会報の注文と会費納入の方法~
▲会報の購読は注文制です。卒業生の皆様からの注文(会費納入)に基づき、発行部数を確定した上で、印刷しております。すでに登録済みの会員の皆様には、封書によるご案内を郵送いたしましたので、同封の返信はがきに、郵送先の住所、氏名、卒業年次(語科H,U、B)をご記入の上、できるだけ早期に返送をお願いいたします。
▲8月25日の時点で、封書を受け取っていない方々は、インダス会への登録が済んでいないか、転居などにより住所が不明になっている方々です。これらの方々のうち、メールを送信できる方は、インダス会事務局のアドレス宛(indusoffice@yahoo.co.jp )に、ご連絡をお待ちしております。遠慮なく、ご連絡ください。
▲(ご注意)従来からの会員のうち、60歳以上で、「生涯会員」として登録された方々については、今年から「生涯会員制度を廃止」いたしましたので、ご了承ください。詳しいことは、ブログに掲載いたしましたので、ご一読ください。
以上
2016年7月30日
インダス会会長(東京外語会・副理事長)
渡邉 光一(昭和41H卒)