睦月は花めぐりから


ガイド街歩き活動の中、皇居東御苑を学んだ。30万坪というから、皇居は広いーー東京ドームの広さでいえば22個分だそうだ、都心ど真ん中にこのスペースか、OH MY GOD!

そのうち将軍や大奥のスペースの本丸あたりは、4万7千坪、お世継ぎのスペース、二の丸へ降りていけば1万2千坪。ここに復元された二の丸庭園や、雑木林が、街歩き好きや東京ウォーカー族にとっては格好の散歩コース。年中開園しており、無料の御苑だから季節を探して花めぐりもいいだろう。

昭和天皇がいろいろ考えてくれて、武蔵野の雑木林を都心一等地に再現してくれたのはありがたい。土ごと運んでくれたのでそこには武蔵野の土と自然がそのまま生きている。絶滅危惧種といわれる「キンラン・ギンラン」だけでなく多くの樹々に会える楽しみもある。

近くには、若竹を「お印」とする昭和天皇をおもい、上皇陛下が考えられた竹林もあって、陰陽竹、金明孟宗竹、蓬莱竹等いろいろな竹を見ることができるのも嬉しい。

さらに都道府県の樹の植栽地があるので、自分の出身地の樹を改めて見られる。

「桜の島」もあって、そこでは多くの桜木、寒桜を一年中楽しめる。

本丸跡にあるバラ園にもいろいろな種類がある。雅子皇后のお印であるハマナスや、暫く前に話題の眞子さんのお印だった木香茨も見ることができる。

庭園を囲む花菖蒲、さつきはあまりに有名だから省こう。

ちょっと脱線になるが、庭園の池に住むヒレナガ錦鯉のことに触れる。埼玉の水産研究所の苦心の作でインドネシアのヒレナガコイと錦鯉の交配により生まれた。園内のサギに食べられないように、幼魚ではなく50㎝以上に育ってから放流している。上皇様がある日、自身が放流されたコイの数に比べ池に居るコイが少ないことに気が付き、それで幼魚がサギに食べられている事実が判明したという。

ガイド説明に、昭和・平成両天皇の自然好きが強調されるのだが、歴史を少しかじれば、

戦国武将・徳川将軍の時代から、将軍・武将たちの園芸通・花好きが伝わってくる。

徳川家康は椿好きで有名。(松潤家康は如何だったかな。)駿府から園芸職人を呼んで江戸城内にお花畑を作らせた(今の紅葉山あたり)のが始まり。

その前の秀吉も椿好き(銘柄は、散り椿や千利休お抱え園芸職人の侘助の名にちなんだ侘助椿)、それに対抗して、家康は白椿がお好みだったと聞いた。

2代将軍秀忠・家光も相当な花好きで、その後の江戸市民の椿ブームに繋がったそうだ、

3代家光は、さらに盆栽好きで、「五葉松の盆栽」――樹齢500年以上のものが宮内庁に一つ残されている。世田谷区にある園芸高校(盆栽部)には、明治政府から委託された五葉松――家光公遺愛のもの、江戸時代の流行「蛸作り」形式、幹が大きく捻じれた様式――の本格的な盆栽2つが残されていて生徒さんたちがお世話しているそうだ。

家光公の(家康や秀忠の椿好きではなく)、「盆栽」にのめりこんだのがどこから生じたものか、幼き日のお世継ぎ問題が何か彼の心に影を差しているのか等々、考えるのも一興かもしれない。

さて新年。今年もいろいろな花の話題が聞こえてきそうな気がして、楽しみだ。

今月はワイフ、孫娘、昔のアメリカ時代ミズーリ州にある自動車部品工場のボスらの誕生日が重なって賑やかだ。ネットを見ると誕生花が日ごとに決めてあり、それによれば水仙・万両・チューリップとある。それぞれに味がある。

2024年、花めぐりから始め、2023年に愚かな戦いが続き、暗くなった世界を、少しでも明るくしていきたいものだ。

投稿者: 佐々木  洋 英語 1973年卒業

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“睦月は花めぐりから” への1件のコメント

  1. 皇居東御苑の解説は大変参考になりました。私は2009年5月から2013年6月まで丸4年間、大手町に勤務していたので、昼休みは四季を通して、東御苑へ散歩に出かけたものです。春に上京したら東御苑に寄ります。

    投稿者:蓮見 幸輝  英語 1966年卒業