信長も愛した香木(蘭奢待)-日本の伝統文化を考える機会に


最近始めた(ガイド街歩き、歴史グループ)武蔵国分寺の研究も一段落。
それによれば武蔵国分寺の焼失は、1333年、新田義貞が鎌倉幕府滅亡時「分倍原の戦い」で寺に火を放ったことによる。

義貞は、翌年同寺再興資金として黄金300両を寺側に寄進した。
その時、伽羅200目も寄進とある記事を読んで動けなくなった。
うーん、判らない。
香木といえば、白檀・沈香・黄熟香等のお宝ものです。
何故農民から成りあがった鎌倉武士たちの権威付けに登場するのかが。
歴史を紐解けば、6世紀、聖徳太子の時代からある、「淡路島に流れ着いた流木(香木)」の物語は有名だ、当時すでに上流階級には「香りを聴く」文化が定着していたといわれる。
平安時代の」「香り薫物」「練香」という貴族階級、源氏物語の雅の世界を経て、足利時代の武家社会に将軍義政が「香木文化」を確立する。
今年のNHK 大河ドラマは紫式部の物語、果たしてどこまで͡「香り文化」に迫ってくれるのか楽しみではある。

戦国時代に入り、香木崇拝は覇者信長、豊臣秀吉、徳川家康と受け継がれ近代史では明治天皇迄が香木の一部を切取り、権威の象徴となった、その代表格が「香木・蘭奢待(らんじゃたい)」だそうだ。
奈良・天平の聖武天皇・光明皇后と関係深い正倉院に保管されているというお宝、その代表「蘭奢待」の漢字の中には、よく見ると{東大寺}が隠れており同寺との関係性を示す。武士の時代になり国分寺の再興時に伽羅が提供され、お寺さんでどう使われたのか。新田義貞自身、伝承ではあるが、蘭奢待を一部切りとった話迄伝わる、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」(大序)では義貞兜と香木の関係が謳われている。

この話を聞いて、昔、インドで経験したことが思い出された。
2010年インド滞在中、日系自動車部品工場の経営権をめぐって日印間で、互いの弁護士を使って法律論争を繰り広げた。その時のインド側相手であるインド財閥のオーナーPさん、
その奥様の葬儀・火葬に立ち会った。そこで見た「白檀を、山のようにくべ燃え盛るヒンズー教の葬儀・儀式」を思い出している。暑い盛りに行われた火葬にもかかわらず、不思議と汗を感じない厳かな儀式だった。白檀の香りが儀式の間、参加者の身体、空間、周りを取り巻く。半日立って、ガンジス河底に静かにお骨を流して、インド世界の終りの時を迎え、参加者が静かな長い時をゆっくり過ごす貴重なインド文化体験の時となった。
よく見ればこの同じガンジス河を、貧しい民の死体が火葬されることなく(そのお金を支払えないのが理由)、静かに物体のように聖なる河の水面に浮かんだまま、どこまでも流れている。これも同じインドの現実なのだと知った時は、衝撃の一言。

さて、大和国の香木文化だ。
光明皇后が700年代の後期に建てた正倉院に大事に保管されて、静かな熟成時を過ごしていたが、数百年の時を経て、時の支配者たちが少しづつ、この蘭奢待を切り刻んだという。(もともと13kgの重さがあったが、切り刻まれた結果11kgとなった)
参考までに香木専門家の説明を読むと、
全長156cm、最大径43cm、重量11.6kg(ベトナム産)錐形の原木。鎌倉時代以前に入ったが、経路や運搬経路詳細は不明。この沈香を試香された明治天皇は、その香は「古めきしずか」(薫姻芳芬)と表現された由。蘭奢待は国宝を超える御物と呼ばれ、天皇の許可なくしては持ち出すことはおろか、見ることもかなわぬ超弩級のお宝で「正倉院御物棚別目録」に記載される。
(引用は以上)。

香木はベトナム、インドネシアの東南アジア、それにインド大陸から来る。蘭奢待は中国経由で聖武天皇に献上されたもの。小柄な女性と同じくらいの丈がある。
時の支配者たちは、この東南・西アジアから来た珍しい香木に、魅せられた。平安時代の優雅な香り文化(源氏物語「空蝉」等)を経て、武家社会では権威付けとして活用された。信長は手柄のあった武将に、城の代わりにこの香木の一片を与えたらしい。
更に、信長が足利将軍を超えようと、足利義政が削った香木の隣に、それ以上の大きさを切り取り、天下に見せたという、我将軍を超えたとでも言いたかったのか。
信長ファンの為には、そうではないという意見があること追記します。
信長がおおぎまち天皇に迫って、力で香木を手に入れた説と、同天皇に意を尽くし正規の手続きを踏んで香木に刀を入れたとの説が言われている。また徳川家康の香木収集癖について、かなり熱心なマニアであった事実もあったようだ。

南方のアジア世界からもたらされた、香木蘭奢待、新年は正倉院に出かけ、金よりも高価といわれるこの香木の現物にお目にかかること楽しみとしよう。
そしていつか日本文化に根付いた「香道」文化にもチャレンジしてみたい。
友人が、この「香道」の六国五味をうるさく言うので、いつか挑戦する気持ちを持っている。
香りに「甘い」のみならず、「辛い」「苦い」迄感じられるのは「香道」の奥深さだろう、未だついていけないが。
しかしながら、いつも思うが国土の7割が森林という「森林王国日本」には伝統的な照葉樹林が似合う。樹間にあって得られる森林浴の香りの世界は他国もまねできまい。

香木文化は、仏教文化と一緒に渡来した南方から来る樹木と香りであろう縄文以来の森林文化の我が国の樹林の香りと南方由来の「香木」が放つ香りとの交差、コンサートが奏でる豊かな世界を楽しんでみたい。
最後に、私が日本の国土・自然を表していると思う、72候暦。
この暦に合わせて、お香を作られている方がおられると聞いて日本の「ものつくりの精神」と「伝統文化」の織り成すやまと国の心意気を見た思いだ。
今後も更に「香りの世界」を考えてみたい。

投稿者:佐々木 洋 英語1973年卒業

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