年越しは、落語「芝浜」でも聴きながら(一落語フアンの呟き)


噺家春風亭一之輔が、「笑点カレンダー」持って西国分寺までやって来た。
12月某日、ワイフとJR西国分寺駅前にあるいずみホールに落語を聴きに行く。
会場前に到着すれば爺さん婆さん中心に長蛇の列。
人気TV番組「笑点」のセンター席に座る人気者、春風亭一之輔の独演会ということでこの賑わいだ。開演前の一時、これから何が聴けるか想像するだけでいい、観客席見渡しながらそう思う。

出囃子「サツマサ」(聞くのは初めてだった)にのって一之輔が登場、
<聞けば2つ目時代から出囃子には歌舞伎の曲を使い、真打になってからは先輩から引き継いだ「髪結新三」で流れるこの曲に変えた由>。
マクラから「笑点」噺家達の写真が載るカレンダーについて盛り上がる。
日本テレビから段ボールいっぱいカレンダーの山が自宅に送られてきて往生、
家族に袋詰め手伝えと言っても嫌がられ自分でビニール袋に詰めた、
皆さん仲入りの時には是非買ってください、
私のサイン付きよとアピール。
彼曰く、西国分寺ホールには、8年前30代の時に来たことがあってその時は噺家数名の中の一人だったが、今回は45歳、脂ののった人気噺家として独演会になったという訳だ。

今日の会は2部構成。
1部では軽めの演目「壺算」と「代書屋」で客席の受け具合を確かめるように話す、
仲入りがあって2部(最後)のネタは「猫の災難」だった。
貰った酒を、訪問客がつまみの鯛を買いに出て戻る前に一滴残らず飲みつくし、
隣家の猫のせいにする話だが、今45歳の人気噺家が次第に酔いが回っていく姿をどう演ずるかがポイント。じっくり聴いた、今登り龍の人気噺家の酔いゆく姿、しぐさは、まあこんなもんだろうが印象だった。
昭和の噺家達との違いがあることを間違いなく感じた。
例えば、柳家小さんの「親子酒」の親子二人。二人が酔いゆく姿、気持ちよく酔う心地が伝わってきた、多くの噺家も演ずる「試し酒」の大酒飲み姿も見てきた。
昭和のほうが、生活水準の違いもあるのか酒の飲み方、酔う姿がこれでもかと演じられ酒の匂いまでぷーんとしてくる気がした。
それに慣れているせいか、一之輔落語の酔っぱらいはスマート過ぎだ、徳利、酒瓶は勢いよく空くが、体になじませるように飲む酒、愛でるように飲む酒の風情には未だの気がする。
昭和の噺家達について。子供の頃にラジオやTV(白黒)時代に見聞きした、高座で寝る姿まで絵になった古今亭志ん生。人情噺随一の三遊亭円生、初めて昭和天皇の前で「御神酒徳利」(三代目桂三木助のテンポ良い噺も味がある)を口演したことは有名。
2人共昭和の名人として鮮明に記憶にある。もう一人昭和の名人、八代目桂文楽(黒門町)は直に聴いたことがない。録音された高座を後で聞いた、噺を短めに詰め遊びの少ない語りが粋ということなのか?(誰も引退時の退き方をまねできまい、青森県出身の粋の塊のような噺家だ)
そのあとを立川談志、柳家小三治の世代が引っ張る。
談志は2つ目の小ゑん(1954-1963)時代が天才肌と言われた。残念ながら直に高座で聴く機会は無かった。談志、亡くなる4年前の2007年に演じた「芝浜」が伝説の高座と評判らしいが如何なんだろう。真打談志の少し照れのある語りでは女性の性を演じ切るのは難しい。女将さんとの人情の機微に触れるやり取りは、人情噺を得意としてきた「三遊亭一門」がわかり易い、私は、たまたま聞いた先代三遊亭円楽の「芝浜」で人情噺の魅力に目覚めた。

我らの時代、古典落語と江戸弁の語り口は矢張り志ん朝になる。
落語を死ぬ間際まで追いかけた談志が、「早く親父の志ん生を継げよ」と勧めた程の才、
今、銭を払って聞きに来る価値あるのは志ん朝だけだと言って志ん朝を随一に挙げる。
名人文楽も、落語界で「三遊亭円朝」(江戸落語中興の祖)を継げるのは志ん朝だけ、その力は十分あると語ったのは有名な話。
独身時代、少し金があった時にSPレコード盤の志ん朝落語全集を買い漁った。
名古屋にある大須演芸場での連続公演時の録音だった。当時客の少ない大須を盛り上げようと踏ん張る、伸び盛りの志ん朝噺を大いに堪能した。
生で聞いて記憶にあるのは、イイノホールで演目は「お直し」。親父志ん生の十八番の持ネタらしいが父をはるかに超えている。こんな艶のある、色気のある落語があるのかと驚いたもんだ。
若い頃は外交官志望という話、外車アルファロメオで六本木あたりを乗り回し、
ドイツには密かに通った女性がおったという志ん朝伝説はまだ生きている。

新作落語にも触れておきたい。
作詞家の秋元康が、立川志の輔の新作は最高だと語ったことを聞いた。
暫くは新作落語を追いかけ秋元の謂う、志の輔新作もの決定版のひとつ「みどりの窓口」を聞いて従来の「落語は古典」の考えが少し変わった。有楽町駅のみどりの窓口でのやり取りが描くヌーボー落語。新作ものがこんなにおもろいものとは知らなかった。
他にも「ハナコ」「親の顔が見てみたい」「買い物ブギ」「バスストップ」や「歓喜の歌」等、目からうろこの新作落語オンパレード。タイ迄出張し海外駐在の日系社会の方々も大いに楽しませているようだ。
あの談志から一言も文句を言わせなかったという「志の輔伝説」、さもありなん。

その後聴いた新作落語で印象に残るのは、関西桂三枝の「赤とんぼ」か。
昭和童謡が流れる中、三枝ワールドが現れる。噺家三枝の歌う童謡がなぜか胸を打つ。
人間国宝小三治の新作では、「あの人とっても困るのよ」が異色作品。
小三治の歌う昭和歌謡、「山のけむり」(昭和26年頃の作)の抒情たっぷりの歌が噺を盛り上げる。
その後評判をとったマクラ部分が独り歩きし、いつしか「マクラの小三治」の異名とるまでになった。外国旅行のホテルでの「ドリアン騒動」、「駐車場物語」、落語仲間と出かけた「NYひとりある記」等、腹抱えながら笑っていられる。
笑いは福と健康を呼び込むというが、まさに格好の健康薬だ。

この小三治が落語界3人目(小さん、米朝に次ぐ)の人間国宝になった。
歌舞伎役者の世界に比べ落語界には人間国宝少なすぎ論があるようだが、腹抱えて笑わせてくれる噺家に勲章は無用ではあるまいか。われら庶民の笑いの数こそ噺家の勲章だ。最初の人間国宝になった柳家小さんは、「寄席見に来た客から木戸銭じゃなく拝観料を貰うのかい、よせやい」と笑い飛ばす。

さて一之輔に戻ろう、日本テレビ「笑点」のセンター席。
笑点を観る方は、これが落語と思うかもしれない。しかし寄席小屋に通って初めて落語の良さが見えて来る。笑点出演中の一之輔の表情には、これ(笑点大喜利)は落語ではないぞと言っているように私には映る。
是非、寄席小屋・ホール落語会場にお出かけになられ、御贔屓の噺家の語りっぷりを楽しんでください。長い噺では一時間を超える演目もあり、じっくり飽きさせず聴かせるのが噺家の技。比べるならクラッシック音楽かな、例えばブルックナーの宇宙的「交響曲8番」。
大オーケストラによる80分越えの演奏だが、ほぼ同じ時間、一人の噺家が聴かせてくれる「ザ・落語ワールド」とは、世界を見回しても他に見当たらない日本が誇る一人芸エンターテインメント。
ご存じの方もおありでしょう、「新作落語に固執して真打」にまでなった男がいると聞いて調べると、笑点の現司会役の春風亭昇太だった。俳優としてもNHK大河ドラマにも出演の個性的な役者(怪演が似合う)であり多才、器用なひとという印象。
その「笑点」をプロデュースし、初回司会者を務めたのが立川談志だ。

新作落語もいい、古典落語もいい、落語ワールド恐るべし、存分に楽しまれるべし。
西国分寺ホールからの帰途、後ろのご婦人たちのおしゃべりが聞こえてくる。
だいぶ寄席に通い慣れているのか、詳しそうな雰囲気で友人と語っていた、
「今日の一之輔は上手くなかった」と。
「うーん、叔母様たちよ、チョッと待ってくださいな」、一之輔45歳、既に人気の真打だが更に大化けしますと言いたい言葉を押さえながら、ワイフとコミュニテイ・バスに乗って帰宅した。
後で調べると、新宿末広亭の席亭が語っている、最近のコロナ下の大変な時期に都心の寄席を救ってくれた3本柱の一人に一之輔の名がある。
集客力はトップクラスの実力派噺家さんだ。期待していい。(因みに、あとの二人は柳家喬太郎と講談界ニューヒーローの神田伯山40歳)

自宅から30分ほどで行ける、本格的な落語が聞ける場があることを発見した嬉しい12月の一日となった。ワイフも楽しんでくれたのが何より嬉しい。
今、人類が各地で笑いなど無縁の愚かな戦いにあるとき、心から「笑いの神」に来福を願うのみ。新年こそ善き年にしなくては。

投稿者:佐々木 洋  英語 1973年卒業

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