もうこの世ともお別れが近い歳(82歳)なので身辺整理上一筆書きました。(苦笑)
昭和36年に西ヶ原の外大に入学したころ、日本語を学ぼうと海外から留学生が大勢いました。しかし、彼らの行動を見ると我々日本人学生との接触がない?何か寂しそうな雰囲気だった。そこで、まだ1年生だった自分が上級生、同学年の有志と相談して、留学生交歓会(GAIGO International Student Association(GISA)を立ち上げました。
当時の小川学長、河部学生部長のご理解、ご支援で約45名のメンバーが集まりました。外語としては恐らく初めての留学生との交歓会であったと記憶しています。
留学生の多くは、タイ、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ビルマ、台湾、インドなどでした。
ともかく、日本や日本語に慣れてもらうためにいろいろな行事をやりました。ソニー、新聞社などの企業訪問、榛名山での素人スキー、駒場の留学生会館での政府機関との連携行事では、佐藤栄作総理(当時は通産大臣)などの列席で盛り上がりました。東大の穂積学生部長とは、都内の留学生との合同行事の相談もやりました。駒場の留学生会館でビルマの学生の部屋に泊まり、ビルマ語の寝言で起こされた記憶があります。
変わり種では、スペインのロベルト・オエステ君などアルバイトで田中角栄元総理の娘(田中真紀子さん)の語学家庭教師をやって学費を稼いでいました。(苦笑)
ベトナムの留学生のグエン君ともう一人など北ベトナムのホーチミン独立運動の白黒映画を南ベトナムの大使館に内緒で見せに連れて行きました。涙を流して感激していました。それから、アメリカとのベトナム戦争が始まったのです。思えば懐かしいことばかりですが、現代の大学、学生さんも支援会などやっているので、成果が上がるよう祈ります。では、懐かしい時代よ、さようならです。
投稿者:小野寺 邦洋 タイ語 1965年卒業