2018年2月2日 (金)、パリ東京外語会の新年夕食会が開かれました。去る2016年、2017年は在パリ同窓生が一堂に会する好機なく過ぎてしまったため、2015年9月25日に言語文化学部長川口裕司教授を囲んで、同窓生に加え、パリおよびフランス各地で留学生活を始めたばかりのフランス語科在学生が集まり、さらに秋廣尚恵准教授のご出席も得た会以来、2年半ぶりの同窓会となりました。
この新年会には、1970年から1972年にわたり母校大学と大学院でフランス語外国人教師を務められた Jean-Luc DOMENACH ジャンリュック・ドムナック、Geneviève DOMENACH ジュヌヴィエーヴ・ドムナックご夫妻がお越し下さいました。
今や半世紀近く前、フランス語科の学生だった方々は両先生の授業を記憶されていらっしゃいましょう。夫人は日仏学院での授業数の方が多かったと述懐されているので、日仏学院で生徒だった方々もいらっしゃるでしょう。その後、ドムナック氏はフランスの社会科学系教育研究機関の名門、通称シアンスポの国際関係学センターを拠点にフランスの現代中国政治学およびアジア国際関係学を率いた碩学となられ、夫人はミッテラン政権時に社会政策担当の要職を歴任され、ユネスコ北京事務所代表を最終ポストに定年引退されました。
母校の元外国人教師とは言え、フランスの教育研究界、行政界で名を成されたドムナックご夫妻を同窓生の小さな集いにお招きするには勇気が要りました。ご招待に至る経緯をお話いたします。
同窓の斎藤アレ総子さん( F1974 )の娘さんが昨秋カーン大学で映画学の博士号を取得されました。その公開論文審査会で、審査員のひとりとして、娘さんの研究を指導された Elise DOMENACHエリーズ・ドムナックという方が紹介されました。斎藤さんにも私にも、かつて東外大で同姓の教師に教えを受けた、という記憶はすぐに蘇ったのですが、それ以上の留意には至りませんでした。ところが、博士号取得の祝宴での歓談で、ふたりのドムナック は父と娘であることが分かったのです。斎藤母は東京でドムナック父を師に、斎藤娘はフランスでドムナック娘を師に得た、この時空を跨いで起きた、かなり確率の低い偶然に蛮勇を得て、高名な方ながら、ジャンリュック・ドムナック氏に氏を囲む新年同窓会開催を提案いたしました。
ところが、折しも、マクロン大統領の訪中が政治日程にあり、氏は中国政治学の権威としてエリゼ宮準備チームに加わっておられ、マクロン出発まではその後の氏ご自身の日程がお立てになり難かった理由により、新年会が正月過ぎて、2月早々に開かれた次第です。
この会には、2007年から2011年までやはりフランス語科で教鞭をとられ、現在はソルボンヌ大学通訳翻訳養成高等学院(ESIT)講師の Sonia DELMAS ソニア・デルマス夫人が前回に続き出席下さいました。母校元外国人教師のお三方が、同窓生各自の自己紹介から次々と話題を引き出して発言を誘導され、懇親会はさながら日仏社会観の意見交換会の趣となりました。
会場はリュクサンブール庭園に隣接するレストラン。出席者は( 同窓生は敬称略 )、
[前列左から]デルマス夫人、ドムナック夫妻、斎藤総子( F1974 )、
[後列左から]吉澤雅樹( F1999 ) 、竹本彩( F2004 ) 、鬼頭夕佳( D1992 ) 、沼田睦子( F1969 ) 、井上春菜( F2000、ジュネーヴから来巴 ) 、野田春美( F1986 )、守川智子( F1988 ) 、桑島みどり( F1976 ) 、千田多美( F1992 )。
シアンスポ留学中にドムナック教授の講義を受けた小川あゆささん( F1997 ) は風邪のため已むなく欠席。
宮澤弘行( F1982 )、林正和( F1983 )、市橋弘章( F1997 )、川崎誠久( F2001 )の四氏は当日が出張に重なって欠席、かくして同窓の男性はひとりのみの出席となりました。
投稿者: 沼田睦子 フランス語 1969年卒業