美についての瞑想を通して、東洋と西洋が出会う

今年八月に中国出身のフランス詩人、アジア系初のアカデミー・フランセーズ会員フランソワ・チェンの著作『美についての五つの瞑想』拙訳が水声社より刊行されました。ちなみにこの本は二年前に同社より相次いで刊行された『死と生についての五つの瞑想』『魂について――ある女性への七通の手紙』と合わせて三部作をなす哲学的エッセーです。

『美についての五つの瞑想』の中で詩人は「美はそこに現れるものである」と述べています。幾分奇妙な言い回しですが、客観的な美は存在することを認めたうえで、チェンは中国人の美的感性を挙げて説明を加えています。中国的な感性によると、美は決して静的なものではない、つまり最終的かつ決定的なものとして明かされているものではないというのです。〈気〉に命を与えられる実体として、美は〈隠-顕〉の法則に従うと詩人は述べています。霧に隠れる山や扇の後ろの女の顔のように、美の魅力は明かされることにあります。あらゆる美は独自のものです。また、状況や一瞬一瞬、光の当たり具合によって変わります。美の現れは、常に予想外であり望外のことです。チェンによると、美の顔つきは、たとえなじみのものではあっても、毎回毎回新しい状態であるかのように、ある一つの到来のように現れます。そうであるからこそ、いつも美は人の心を動かすのです。中国の名勝、廬山についてチェンが述べている部分を引用してみましょう。

私[チェン]は霧に隠れている山のイメージを喚起しました。それは「廬山の霧と雲」という表現を思い出させます。中国語で「真の美」を意味します。その美とは、当然のことながら神秘的で「計り知れぬもの」、私はそう申しました。廬山はその霧と雲で有名ですが、さらに四世紀の大詩人、陶淵明の詩の中の有名な二行を生み出しています。この二行はその巧みな簡潔さによって、中国人が美を知覚する様態を理解させてくれます。

私は菊を摘む、東の垣根の近くで
遠く悠然として、南の山が望まれる(「飲酒二十首」其の五の5-6行目)

フランス語訳では、残念ながら一つの解釈しか表現できませんが、この二行句には二重の意味があります。実際に二行目において、[フランス語訳で使用している]動詞「知覚する percevoir」は原語では「見」です。ところで、この動詞は古中国語では「現れる」ことも意味しました。したがってこの二行目は別の読み方も許容します。つまり、「遠く悠然として、南の山が望まれる」の代わりに「すると、悠然として南の山が現れる」と読むことができるのです。南の山とは廬山のことですが、この山は突然霧が引き裂かれるように晴れるときにだけ、その美の輝かしさを全開にすることで知られています。ここでは句の二重の意味のおかげで、読者はすばらしい出会いの光景に立ち会います――夕暮れ時、詩人は東の垣根の近くで身をかがめて菊を摘んでいます。ふと顔をあげ、彼は山を目にします。そこで句が示唆するように、山の姿(vue)をとらえようとする詩人の行為は、霧から解放されて視覚(vue)に入る山そのものの出現の瞬間と同時に起こっているのです。

幸運な一致によって、フランス語でもvueという語は二重の意味を持つことが分かります。見る人の視線・眼差しと見られたものの姿・眺めです。このように、陶淵明の詩句の例においては、二つのvueが出会い、ある完璧な一致、奇跡的な共生状態が作りだされる。しかもすべてが悠然と、恩寵のたまもののように進むのです。

以上、フランソワ・チェンの格調ある文章から、拙訳の長い断片を引用しました。この「眼差しの交差」という概念が真の美を理解する上でのキーワードとなります。『美についての五つの瞑想』後半部で、チェンはドイツ観念論の系譜の中では中国の美学に近い存在として特にシェリングを重視しています。また、フランスの哲学者からはメルロ=ポンティなど、あるいは画家のセザンヌを挙げ、東洋と西洋に通底する美に対する感性(美学の語源はまさに「感性学」です)を、二つの世界の狭間に立つ者として論じています。哲学や美学、広く文学に興味を持つ方々に読んでいただけると幸いです。

投稿者: 内山憲一 フランス語 1985年卒業

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本の紹介:アジアのことば 魅力旅

<内容説明>
知れば知るほどおもしろい、言葉のレシピ集!一生を日本語だけで終える日本人。ところが中華料理、タイ料理、フランス料理とあるように、美味しそうな言葉の世界はまだまだあるものだ。

そんな世界へと案内してくれるのが本書である。ひとたび言葉の山麓に踏み込めば、言葉の山をめぐる旅は果てしなくおもしろい。本書がガイドするアジアの言葉の山並みを興味津々歩いてみれば、そこかしこに絶景が広がっている。

<目次>
第1編 アジアの言葉の魅力
(フィリピノ語の魅力;中国語の魅力;台湾語の魅力;
韓国語の魅力;タイ語の魅力 ほか)
第2編 私が考える国際人とは―世界で活躍する12人の進言
-「It’s Greek to me」であっても、何とか読み取ろうと努力を続ける(田中常雄)
-未経験の世界を受け止められる「柔軟性」と「誠意」(卜部敏直)
-自国のことを語れる素養を持った「中身のある」人間(石川和秀)
-世界の人々に敬意を払い、相互信頼の礎を築く人(藤原真一)
-言語だけにとどまらない、人間性由来の「異文化コミュニケーションスキル」(関野信篤) ほか)

<著者あとがき>
外国の言葉を学ぶということは、言葉そのものとその国の文化を同時に学ぶことであると思います。たとえば「英語」を習い始めたとしましょう。これはすなわち、日本で暮らしを続けるなかで、いながらにしてアメリカやイギリスの生活や文化の一部に触れることになり、延いては遠き異邦の人々の生活を間接的に体験することになり、とても愉快な経験であると思うのです。そこでは当然、夢や空想も相俟って、ある意味で人生を二倍楽しんでいることになるのではないでしょうか?
それが長じて、もし複数の外国語を学ぶことになると、その言葉の数だけ文化や生き方を間接的に経験することになります。外国語を学ぶということは、直截的に自身の世界視野を広げることができる、斯くも楽しいことなのです。少なくともある国の言葉を習っているときはその国の中に自分を没入させ、その国の文化や風土を追体験しているのではないでしょうか?
どうか、このような感じで本書をお読みいただき、このような共感をしてみたいと、読者の皆様の琴線に触れるところとなれば、筆者望外の喜びです。

投稿者: 中原 秀夫 ウルドゥー語 1973年卒業

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荒川詔四著「参謀の思考法」を読んで

元ブリヂストン社長、荒川詔四さんの新著「参謀の思考法」ダイヤモンド社、6月3日初刊はとても有益な本なので、お知らせします。難しい任務をやり遂げる過程で体得した教訓にあふれています。荒川さんはいうまでもなく本学タイ科1968年卒で、外語から名経営者が出たことを誇りに思います。

1988年、ブリヂストンがFirestoneを買収する直前に、荒川さんは家入社長によって秘書課長に抜擢され、proactiveに社長を支えた当時の経験が本書の核心部分です。その後、ブリヂストン・ヨーロッパをCEOとして再建。2006年に社長に推されるや2年後にはリーマン危機に襲われたが、危機こそチャンスと、Firestoneから引き継いだ不採算工場や拠点を統廃合し、ROA(Return on Asset、総資産営業利益率)を6%に高めるなど、6年間に多くの業績を挙げました。Firestone買収後のPMI (post merger integration,買収後の統合作業)に20年間もかかり、当事者の苦労は貴重なノウハウとして会社の財産になっていることでしょう。

手柄を上司にあげるのは効率よい投資、能力の高い上司に恵まれることは稀、トラブルは順調に起こる、といった職場で日常的に起こることへの合目的的対処法に始まり、理論より現実に学ぶ、原理原則を思考の軸に、ビジョンを社員と共有する、といった基本中の基本に惹かれながら、一気に読み通しました。

邦訳「1兆ドルコーチ」が語るように、Bill CampbellはGoogle, Apple, Amazonなどの経営陣に創業当初からone teamの大切さを教え、巨大企業育成に貢献しました。永守会長は一代47年間で日本電産を築きました。Campbellの指導も、永守会長の経営も、荒川さんと共通点が多いと理解しています。因みに荒川さんと永守氏は1944年生まれの同い年です。
またこの機会に、所蔵する荒川さんの最初の本、「優れたリーダーはみな小心者である」ダイヤモンド社、2007年刊も読み直しました。2冊はセットで読むと理解が深まります。

投稿者: 蓮見幸輝 英米語 1966年卒業

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『北区西ヶ原 留学! できますか?』

澤井繁男著『北区西ヶ原 留学! できますか?』(未知谷、7月7日刊行、2400円+税)

1970年代の青春群像。
あの頃、あの場所。「〔男〕の幻想と〔女〕の期待」が交差する青春小説。
インドネシア語科に集う男女学生の目的と恋愛感情(第Ⅰ部)。
チェコ語科に学ぶ、クラシック好きの青年の日常(第Ⅱ部)。
就職率抜群の外大ブランドの神話の内実と弱小語科の悲哀を活写。作品は円環して終わります。

投稿者: 澤井繁男 イタリア語 1979年卒業

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