10月1日は、日本酒の日だそうだ。この日に、「断酒宣言も悪くない」といえば左党の方から、無粋な奴めと石でも投げられるかも。
「しらふで生きる」(大酒のみの決断)は、ミュージシャンでもある作家町田康氏のアルコール中毒者の断酒の勧めの名作。同氏は30年飲み続けたアルコールを断って4年後(50代半ば)に、この作品を仕上げたとある。
内容気になる方は是非お読みくだされ。世の左党の方には耳が痛いが、現代の「健康第一」が幅をきかせる状況下、「素面」になって、世の中を改めて見渡してみるのもいいかもしれない。
東北の港町で生まれ育った身には、アルコール大好きの爺さんが中心となって酒特に日本酒の瓶がいつも食卓の中心にあった。
親父は婿入りの時には下戸であったが、爺さんに酒が飲めないようでは若い世代に教鞭をとるなどもってのほかと毎日毎晩酒の飲み方を仕込まれた、田舎の定時制高校の生真面目な数学教師であった。
その甲斐あってか我々子供たちが大きくなる頃には爺さんを凌ぐ大酒飲みになっていた。そういう家庭環境下、毎晩、酒瓶が嘘のように空になっていく食卓を眺めて育った。当時は一級酒,二級酒であり田舎宮城の酒といえば,「浦霞」に「一ノ蔵」。最近なら、「日高見」が加わるのか。当時は、二級酒のツーンと来る安酒が吞兵衛受けしていた。
私も、兄たち同様大学時代から飲み続け、爾来50年酒が常に傍にあった勘定だ。貧乏な時代に仲間たちとサントリー角瓶は手が届かず、トリスとか清酒で毎晩気勢を上げた。社会人になり20代半ばの米国西海岸勤務でバーボンなるものを知り、40代2回目の海外赴任はイスラム社会なのに外国人特権で堂々酒を飲み続けた。使用人の運転手、敬虔なイスラム教徒のNAWAB君は、こういう日本人を毎日どのような思いで見ていたのだろう。
50代は、二度目の米国勤務。縁あって中西部の自動車部品製造工場に6年勤めた。ケヴィン・コスナーの「フィールズ・オブ・ドリーム」やクリント・イーストウッドとメリルストリーブ二人の名優によるシニア青春物語「マジソン郡の橋」ロケ地近くのアイオワ州とミズーリ州境の一面トウモロコシ畑傍の工場。東セントルイス育ちのマイルス・デービスのバラード曲を聞きながら、夜通しバーボンの瓶をあおった時代が蘇る。
60代は南アジアのODAと日系企業のインド進出応援のJETRO専門家稼業。最終的にJICAプロジェクト終了が2019年夏。ちょうどコロナが世界に飛び回り始めたタイミング。小池都知事の「三密」厳守を叫ぶ声が社会全体を覆った時、その時だ、天から何かが降りてきた。
アルコールはもういいだろうと。飲めば人様より多く飲みすぎた、正体不明になるまで飲む悪い癖だ。19歳から50年間飲み続け、一回当たり人様の2倍は飲んだ量から計算すれば「人様なら100年分のアルコールに相当する」と勝手に計算。悪友たちは、「いいじゃないか200年分飲んでも」と、けしかける。そして2019年12月10日を最後に断酒を決めてノンアル生活入り。今日(2025年10月1日)の「日本酒の日」現在で、断酒生活7年目が見えてきた。
吞兵衛の兄たちからは、お前の身体が酒を求めているんじゃないのかと聞かれた。酒席で、一人ノンアルを続ける違和感が残った。こちらは全く気にしないが、相手方が気を遣うように飲んでいるので申し訳ないの気持ち。職場仲間から時に「高級ワインを飲む会」など誘いもあったが、皆さんのお酒がまずくなるだろうから欠席しいつか酒席から遠のいた。70代になってから気が付いたが、周りの酒豪たちの酒量もずいぶん減ってこちらがノンアル・ビールで会合に参加するも、全く違和感がない、
そういう時代になったことに気付かされた。酒を飲むことから離れると、今度は食べ物に関心が集中する。それまでは、すべて酒をうまく飲むためのつまみだったが今は食材一つ一つの味が気になる。
子供たちへの食育じゃないが、緑(緑茶のカテキン)、赤(赤ワインポリフェノール)、黄(免疫力アップのインドカレースパイス;クミン・ターメリック)等、世にいう健康のためのカラフル食材に目が向くのは年齢のせいか。
居酒屋の出す魚料理は、まさに美味、食の王様。居酒屋の板前さんが腕を振るい、地の酒にあったつまみを作り、出してくれるのが楽しみだったが、ノンアルの今は食材そのものの味堪能が第一。自分でも驚きだったが身体がそう求めている。善き事としよう。酒を飲まない客は出入り禁ずると居酒屋のおやじに怒られないか心配であるが、居酒屋探訪家として有名な太田和彦氏紹介の全国にある有名居酒屋(居酒屋探索百選)を訪ね、アルコールなしで、各地の名物料理を食したいが今の夢である。
例えば、広島「かも鶴」(西条)や、太田さんが西日本代表という岡山の「お(小)ぐり」、はたまた故郷宮城は仙台の、「源氏」(女将の許す4杯迄しか飲めない)、あたりから酒席への誘いの声がする。東京で探せば、みますや(神田)、山利喜(森下)、日本橋のふくべあたりからか。
全国の海沿いの名だたる居酒屋目指して、美味料理、新鮮な魚を探しに行こうの思いが募る。ワイフ菩薩を連れ出し、赤ちょうちん覗くも一興ならん。
暖簾をあげて、「板さん、今宵のおすすめ料理二人分、酒はいいから」と。
次の旅行からは、そうしよう。
世の左党のお父さん達からは怒られること覚悟のうえだ。
この記事投稿後に、今上陛下が日本酒党であられることを知った。
投稿者:佐々木 洋 英語1973年卒