雄勝(おがつ)硯の墨香で歌詠みに励む朝


猛暑の夏がいつ終わるかわからないが、それでも秋は忍んで来る。
9月末が、来年「皇居歌会始」に向けた宮内庁宛「詠進歌」提出の締切り日。

墨を擦り、試し詠みを始めようかとねじり鉢巻き。
今年のお題は「明」だって。
なんとまあ、長女誕生命名時に使った漢字であるからには、
何とか一首と親父は頭をひねる。

当たり前だが「これで行こう」の歌にならない。
夏鶯のかん高い囀りが、あざけり笑っているように
「まだできんのかい!」に聞こえる。

師匠と個人的に仰ぐ、俵万智さんのご講義NOTE文章
「一首一会」を覗いて頭休めする。
万智さんの師匠、佐々木幸綱さんの一首が紹介されていた。
君こそ淋しがらんか ひまわりのずばぬけて明るいあのさびしさに

万智さんが言う。作者に珍しい自由律で、それが印象を鮮やかにしている、
向日葵の明るすぎる明るさの中の孤独。
こういうプロ的な表現、歌詠みは凡夫には無理だろうて
生まれた当時の吾子のはじけた笑顔を、
暗夜の灯りに結び付ける工夫くらいかな。
さらりと、キラリと、幸綱氏のような歌詠みをしてみたいものだと思いつつ、
テーブルの向こうで新聞朝刊を読んで、
「あなたは全く新聞読まないんだから」と、
ブツブツ言っているワイフ菩薩の元気そうな顔見ながら、
「今日も元気でありがたや、ありがたや」、つぶやく自分がいる。

詠進歌イメージが出来れば、次は文房具を取り出す段。
皇居向け歌詠みの宮内庁条件は「筆書き」である。
小中学校、場合によっては高校まで、習字(書道)の時間があった。
今でも思い出すよ、渋い顔した書道の先生からもらった朱書き直し。
硯に水を含ませ墨をする。次第に心が澄んでくる、瞑想のとき。
墨を擦るごとに、匂いたつ香り。
硯の丘にある鋒鋩(顕微鏡で見なければわからん??)が働いてくれる。
無心の境地で自分の心を覗く時、何とも言えない荘厳な時が訪れ
遥かなる宇宙へ自在に飛び回わる気持ち(勝手にせい)。
中国留学時に、書の天才空海が中国人たちを驚かせた話は有名。
その空海が、日本に持ち帰った一つが中国の製墨技術と聞く。
帰国後は興福寺で完成させたとある。
興福寺二諦坊の奈良墨(固定墨の85%が奈良産という)、初めて知った。

墨の次は硯か。
硯の事となれば、故郷宮城県雄勝(おがつ)産の硯に触れねばなるまい。
和硯では山口(赤間石)、山梨(雨畑石)、四国(土佐石)あたりが
硬さでいいらしいが、スレートで有名な雄勝石、東京駅の屋根にも使われた
(3・11後のニュース)加工しやすさが特色の様だ。
高校は石巻の男子校(今は共学、うらやましい)に通った。
島しょ部から通う友人たちの中には雄勝から通う者もいた。
彼が書道の時間墨を擦ったのは、間違いなく地元雄勝の硯だろう。
当時はそんないいモノとは知らなかった。
雄勝特産の硯。原料の雄勝石は北上山地の2億年も前から石巻の地に眠る、
黒色硬質粘板岩だそうだ。「書道」は仏教渡来後の写経文化に伴い、
日本社会の大きな文化遺産になり奈良時代からの仏教による国家鎮護の
波の中で、あの光明皇后が王義之の「書」を写した時には
墨・硯・筆の「書カルチュア」は大きく花開いていったのではないか。

物の本によれば、雄勝硯は室町時代から、解説書の多くが江戸時代
伊達政宗公が牡鹿半島視察、鷹狩りで訪問の際に献上品になったと、
伊達公二代目からは雄勝の山を、「御留山」として藩が独占した経緯にある。
歴史の資料は書いてないが、雄勝の硯はもっと以前、
飛鳥時代から始まった書の文化とすれば、奈良や平安時代からは
当たり前に使われていたのではないかと思う。
学者先生がいずれ明らかにされるでしょう。

硯好きは「爪で弾いて石音を聞く」とか。これってギター並ですか?
金声(キンキン)、木声(ほくほく)、無声(音なし)と専門家は謂うらしい。
まるで楽器じゃん。
書家の榊莫山さんは「石を撫でるに無上の喜び」と仰る、もうついていけんわ。
さあ、これからひと月、9月一杯猛暑の勢いは続くと思うが、
そんな時こそ朝早く硯に向かいて心に浮かぶよしなしことを、
つれづれなるままに文を書き、楽しもうじゃありませんか。
凡人の身は、硯だけでも雄勝の特産品硯を使う夢を見て、
硯の丘にある鋒鋩をたてて、雄勝石のつくりたもう黒光りする
墨文化にほれぼれしながら、お題「明」の歌を一気に書き上げようと思う。

書家の榊莫山氏は、中国産「端渓硯」をいたく推薦され
雄勝産はじめ和硯の価値が低いのが悲しいことよ。
そういえば、昔中国出張時には、お土産には必ずと言ってもいいくらい
石に自分の名前を彫ったハンコをもらった。
今、家にはハンコMADE IN CHINAが山のようにある。
それくらい中国大陸には岩・石にいいものがあるのだろうと認めざるを得ない。
中国産、日本産に拘らず硯の石のぬくもりに触れ、
墨を磨るときの澄み切った気分を楽しみたい。
願わくば佳き歌をものしたいものだ。

投稿者:佐々木 洋(英語 1973年卒業)

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