もう4年前になるが、頼まれて広島・長崎への原爆投下に因んだ2021年8月6日のドルトムントの広島デーで行なった10分程のスピーチ原稿の独語原文と和訳をご参考までにお送りする。当時はコロナ禍のさなか東京で開催された「福島復興オリンピック」の真っ最中、コロナと気候変動が、原発であれ核兵器・核戦争であれ原子力の問題を圧倒的に凌駕してしまった印象があったが、その後ウクライナ戦争やガザ戦争やイスラエルと米国によるイラン攻撃があり、核戦争・第三次世界大戦の危険は比類ないほど高まった感がある。この現下の状況を予言したなどとうそぶくつもりは毛頭ないが、原子力も地球温暖化も新型コロナ感染症も、世界史的・地球的規模で見た時、同根であるとの認識はいやましに実証されつつあるとの思いを深めている昨今である。
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ドルトムント広島デー(2021年8月6日)スピーチ原稿(和訳)
シルフ ドルトムント市長、
シュルターマン 独日協会ドルトムント会長、
IPPNWドルトムント支部のみなさん、
独日協会ドルトムントのみなさん、
平和を愛するみなさん
最近、原子力に関して二つの重要な出来事があり、そのうちの一つは今もなお進行中です。
その一つとは、去る7月23日以来一年延期の後開催されている2020年東京オリンピックであります。これは本来2013年のブエノス アイレスでのIOC総会で、当時の日本の安倍晋三首相による「(福島の)状況はアンダーコントロールです」という真っ赤な嘘によって開催権を獲得したものです。それ以来日本では安倍首相と彼の後任の菅義偉首相により、とりわけ「フクシマ」を念頭に今や「復興五輪」と称されるに至ったこの2020年東京オリンピックの実施を目指して、言論・情報操作を駆使し原発と放射能の脅威を過小評価しようとする剣呑な政治が行われてきました。その目的は、「フクシマ」を究極的に「忘れ」させ脱原発からの脱皮を推進することにあります。にも拘らずいくら強調しても足りないのは、福島の原発事故は10年経った今も継続中であり、「原子力非常事態宣言」は未だ解除されていないという厳然たる事実です。さらにこれは日本では公然の秘密ですが、原発の拡充には、最初からエネルギー政策上というよりもパワーポリティックス及び軍事政策上の意図が基本にあり、日本の潜在的な核兵器所有と戦後の国際政治における大国への道を可能にしようという目的がありました。
二つ目の出来事は、いわゆる「黒い雨」訴訟における広島高裁の7月14日の控訴審において原告側が勝訴した事です。この訴訟においては、1945年8月の原爆投下後放射性物質に汚染された黒い雨を浴びた84人のかつての広島の住民が、広島県と広島市を相手に、彼らを公式に「被ばく者」と認め必要な医療を施すことを求めていました。7月26日に菅首相は、政府は上告しない旨表明しました。このニュース自体は肯定的なものです。しかし広島の残されていた犠牲者が被ばく者としての認知を受けるまで76年もの月日を要したということは、痛恨の極みであります。「ヒロシマ・ナガサキ」と「フクシマ」には多くの共通点があります。どちらの場合においても、常に経済上およびパワーポリティックス上の算段に由来する事実の過小評価ともみ消しがあります。我々日本人はまだまだ原子力と付き合わざるをえません。
ここドイツにおいては、しばしば「『フクシマ』によって世界は変わった」と言われます。ただしこれは精々エコロジカルな「転回」あるいは「エネルギーの転換」という意味にすぎません。しかし福島の原発事故の文化的-文明的な意味合いにおける世界史的な意義というものは、「『ヒロシマ』と『ナガサキ』」にも拘らず、よりによってなぜ日本で『フクシマ』が起こりえたのか?」という問いと密接に関連しています。
広島の平和記念公園にある原爆の犠牲者を追悼する原爆死没者慰霊碑には、次の有名な碑文が刻まれています。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」
この二番目の文は、主語が明らかでないため論議を呼んでいます。元広島市長は、主語は日本人やアメリカ人ではなくすべての人間だという解釈を提示しました。この観点からすると「ヒロシマ-ナガサキ」も「フクシマ」も人類の罪なのではないか、ということになります。
しかしこれには若干の歴史的な根拠づけが必要です。西洋近代社会の成果の一つは、自然科学の生産過程への応用としての科学技術です、この発展によって西洋文化は世界を制覇しました。実際、科学技術は今日、個人の日常生活から国際政治に至るすべてに影響を及ぼしています。現在の科学技術の繁栄は、歴史的には17世紀の西ヨーロッパにおける自然科学革命によって始まりました。決定的なパラダイムの転換が起こったのは、書かれたものによる知の伝承への偏愛が、経験の重視と手仕事的な技術への興味へと移行した時でした。それに続いて科学技術による自然の征服という思想が登場しました。この事態を、当時フランシス・ベーコンは次のように表明しました。「私は、技術が自然と競争し勝利することにすべてを賭ける。」自然研究の目的は「行為による自然の征服」にある。「技術と学問」は、人間に「自然に対する支配」を与える。デカルトは彼の『方法序説』において言います。新しい学問の「実践哲学」により「われわれは今や自然の主人兼所有者として振る舞うことができる。」ガリレイの実験の構想やデカルトの「機械論」、ニュートンによる「機械論」の拡充、ベーコンの自然支配の思想等を背景として、近代の科学技術の概念が形成されました。しかし同時に近代の自然科学は、自身を過信し、自然への畏敬を忘れてしまったのでした。
(*山本義隆『福島の原発事故をめぐって』[みすず書房、2011年、第三章を参照])
日本は、1868年の明治維新以後、植民地主義と帝国主義の圧力の下、富国強兵のために西洋文明に適合し、その近代科学技術を完全に受け入れました。日本の帝国主義戦争―そこには我々のアジアの隣人たちへの侵略と残虐行為も含まれますが―の帰結として我々は1945年8月、アメリカ軍による広島と長崎への原爆投下を経験し、連合国へ降伏しました。しかし我々は先行する77年間の過ちを十分反省することなく西洋の科学技術の精華としての原子力に身を捧げました。その裏には原子力の平和利用という口実の下に核兵器の潜在的な所有を目指すという先述の隠された意図がありました。このようにして我々は性懲りもなく再び西洋の列強に伍そうと試みたのでした。「フクシマ」は、我々が第二次大戦後、1868年以後と似たやり方で間違った理想を追いかけてきたことを示しました。その限りでは、「ヒロシマ-ナガサキ」ならびに「フクシマ」は同じように人類の罪と名付けることができましょう。
このような歴史的背景を踏まえた時、今や西洋文明と日本ないし東アジアの伝統的な世界観・自然観とを高い次元において宥和させ得る「フクシマ」以後の新しい世界観が必要とされていると思います。その端緒はすでに我が国においても存在し、それについては本スピーチの最後に触れることにします。
現在の世界の状況は、気候変動とコロナ禍が原子力の問題を大幅に日陰の位置に追いやってしまった感があります。特に気候変動は、人類が目下直面している最大の問題と称されています。しかしこれら三つの現象の共通項に注意を向けることが喫緊の課題だと思います。その共通項とは人間による環境と自然の破壊です。
地上の有機体とは本来共存不可能である放射能を発する原爆と原発が、破局的な環境破壊を引き起こしうることは自明でしょう。
また現在の気候変動、すなわち工業化の開始以来の地球温暖化が、とりわけ人間による温室効果ガスの排出に拠ることは、科学者たちの大方の一致を見ているところであります。
新型コロナウイルス感染症は、人獣共通感染症の一種、つまり人間と他の脊椎動物の両方に感染する病原体によって生ずる感染症の一種とされ、蝙蝠に由来し、セイザンコウを経由して人間の間に広まったと言われています。その際、自然破壊と人口増加に起因する動物の生活空間の縮小およびそれ自体が自然破壊である地球温暖化による生活空間の移動が大きな役割を演じていると言われます。しかしここで肝要なのは、原子力も気候変動も新型コロナウイルス感染症も、人間によるこの地球という惑星の略奪という同一の根に由来しており、「人新世(anthropozän)」と呼ばれる人間が地球の地質や生態系や気候変動に影響を与える時代の三つの代表格であるという事実をしっかり確認しておくことです。
わたしはこのスピーチを、既に100年ほど前に西洋と東洋の思考と我々の日常の直観の合一を唱えた日本の詩人、作家、自然科学者、教育家である宮沢賢治(1896-1933)の引用によって締めくくりたいと思います。
「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい」(『農民芸術概論綱要』[1926年]序論より)
投稿者:服部 精二 D1979年卒