個人と社会に対する認識の違い 公共建造物の命名にも表れる?


先日のツアーで、お客様からこんな質問を受けた。
「イタリアには個人の名前のついた道や広場が沢山あるが、
何故日本はイタリアほどではないのか」と。
例、クリストファ コロンブス通り(航海者)、
ベニアミーノ ジーリ広場(テナー歌手)~いずれもローマ

個人(individual)と社会(community)に対する認識の違い、と答えた。
日本は、西欧と逆で、集団があってこそ個人あり、
という考え方が歴史的に長く続いた結果だろう、と。
そういうことなのかしら。

投稿者:新井 博文(ヒンディー語学科 1974年卒業)

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