暑すぎる6・7月で、誰も不愉快をとおりすぎて、
頭の中がパニックではなかろうか。
アイスキャンディーやかき氷で一時的に凌いでも、その後がつらい。
妄老世界か夢の国へ、つかの間ワープでもしようか。
昔、古本屋のご主人のエッセイで、しみ(紙魚)のことを知った。
何十年も薄暗いお店で、古書を取り扱っておられたから、
紙魚(体長1mm)の存在と本上の素早い動きに気が付かれたことでしょう。
本の虫は世の中に数多くおられるが、
本を食する虫には、なかなかお目にかかれない。
昆虫図鑑によれば、紙のでんぷんが餌であり、
脱皮を繰り返した後に銀色の鱗のような姿になるので、
しみ(紙魚)と呼ぶらしい。本の虫を50年も続ければ会えるのだろうか。
昔、東北田舎の小さな本屋で育った。
港町だから、魚のシーズンになると三重県の秋刀魚船の船員たちが
町に上陸してこられ、大きな買い物をして小さな漁港に
タァーンとお金を落としていかれた。
何処の商店も、置いてる商品が空っぽになった。儲かった。
本屋に置いてある雑誌類は平棚が空っぽになった。
店の隅にあったロマンポルノ等大人向け雑誌類は全部彼らが船に持って帰った。
本屋の別の角にある棚には田舎町には不似合いな哲学書的な書籍が置いてある。
田舎の高校教師をしていた親父の趣味で、
小さな漁港の「教養提供する店」(知識産業)をうたい文句に、
何年も売れない固い哲学書籍が棚の上に鎮座していた。
人口1万8千人(3.11前)の町にも、教養を求める方がおられ、
金曜日の夕方から本屋に来ては、その棚の上に置いてある哲学書を
手にとっては長い時間読んでいた。店の方も、親父の知人であり
町一番の教養人であるNさんの事だから好きにさせていた。
2011年の前の良き時代であった。誰も読まない本だったが、
Nさんが時々この書籍を読んでくれて
我が教養提供本屋では、しみ(紙魚)とは無縁のBOOKワールド
があった。今考えると、このNさんの立ち読み姿。
薄暗くなった夕方の店の隅で一人固い本を食いいるように見ている姿は、
まるで大きなしみ(紙魚)が、一人ほくそえんで本の隅から隅までなめるように
紙質の味を楽しんで居られる姿なのだった。怖いよん、Nさん。
最近、若い世代で
しみ(紙魚)をテーマに物語を仕上げた方がおられるのを知った。
不勉強で、著作本を手に取っていないので詳細までは知らないが、
しみ(紙魚)が、素早く動いてかつ紙を食べていくので
主人公が毎回本屋で手に取るたびに小説の筋が変わるというのが
テーマらしいと理解した。面白い発想と感動した。
本屋の息子としては大喝采の気持ち。
しみ(紙魚)が、文章の一部を読みにくくすることはあっても、
中身を、筋まで変えるまではなかなか……と思うが、
若いクリエイターをリスペクトすれば、そんな無粋なことは口に出すまい。
このしみ(紙魚)。
聞けば西洋紙魚と大和紙魚がいるらしい。何やら外来種問題に発展しそうだが。
タンポポの例をとれば、西洋タンポポの圧倒的勝利。
しみ(紙魚)の世界はどうなんだろう。
読書好き(本の虫)の方々が溢れる大和国。日本で発刊される本には、
昔からの大和紙魚がいて、欧米他諸外国から輸入販売される翻訳文学、
ノーベル賞作品の数々には西洋紙魚が鎮座している。
両者が、大和国の場で川中島の決闘よろしく対決の場を迎えるのだろうか。
まるで武蔵丸と貴乃花の勝負か?(ちょっと古すぎるが、
7月場所から日本人横綱大の里の誕生で許してくだされ)
はて、最近のノーベル文学賞の作品(韓国)を熱心に読まれた読者の方々。
その方がたまたま村上春樹の国内本を続いて楽しまれた時にでも、
西洋紙魚と大和紙魚の出会いは何兆分の一の確率で、奇跡的に起きるのでは
ないだろうか。本屋の息子は切にそうであってほしいと願う。
そして、その時はどちらに勝負の女神がほほ笑むのだろうか。
一般化すれば、生物学的には、外来種の西洋紙魚が勝つことになっている。
「ひ弱な花日本国」と外来種は大挙して攻めてくるぞ。
その時は大和国のシミ(紙魚)よ、頑張れ。
日本中の本屋を守るべく、石破さんよ、野田さんよ、山本太郎さんか⁉
大切な国家予算の一部を使って全国の本屋の周りに、水城を作ろうか⁉
(白村江や元寇じゃあるまいに)
健康長寿では、世界トップクラスの大和住民のシニア組が応援するぞ。
最近の温暖化現象も極まり、日本国内の氷室も、
すっからかんに干上がっている。妄想とヨロヘタのシニア組の応援じゃ、
しみ(紙魚)も言うだろう。
お(老)い、もーろく爺様たちよ、
いい加減、夏の悪夢から戻って来いよ。
帰って来いよ。
今朝も、夏鶯の力強い囀りが聞こえ、目を覚ました。
この暑い季節に、春の体より5割増しと太った雄鴬が
マッチョになって新たな繁殖行動に大忙しそうだ、
われわれも暑さに負けずに、走りぬきましょうや。
(以上)