あなたの消夏法は?(その2)


暑さ対策の逆療法として、以前「暑い時には熱くなるものを」を
挙げてみたが、「熱い恋のマグマ」を入れ忘れた気がしている。

顕著な例は、男女の仲・三角関係だろうか。古代大和の、
大海人皇子(天武天皇)
額田大王 万葉集を代表する女流歌人
中大兄皇子(天智天皇)の妻争い例はもっとも有名。
教科書にも載っている歌だから、おさらい程度にレビューする。
あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る(額田大王)
紫草(むらさき)の にほへる妹を
憎くあらば人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも(大海人皇子)
この両歌を並べて解釈すれば、恋歌のやり取りに見えるが、
実際は、額田大王の新しい夫となった天智天皇の前での歌合戦だった。
狩場での宴で、天智天皇が仕切る歌合わせの会でのこと。
額田大王は前夫大海人皇子をいさめる歌を、
あなたが袖振る姿を、野守らみんなが見てるでしょうと
天智天皇の前で披露し、大海人皇子は人妻になった額田大王を受け入れ、
天皇の前で承認した意味合いの歌となる。教科書ではそうだと教えている。

二人とも歌の名手であり、表面の大人の歌対応の裏に、本音を隠しているのは
聞いている古代の「言葉にうるさい人達」は、とっくに見抜いている。
額田大王は、野守が見ているよと、窘める形(天皇の圧があるのよ)で、
そういう権力者の前で、
大海人皇子の本気度を確かめたかった歌でもあると読める。
まるで高橋真梨子さんの「for you….」だ。
あなたがほしい、あなたがほしいと響いてくる。
大海人皇子の方は、天皇の后になられた貴女だけれども
自分の心は変わらないという本音を伝えた歌でもあると
蒲生野にいた皆が感じた宴であった。まるで東京ロマンチカ三条正人が歌う
愛しながらも運命に負けた「君は心の妻だから」に近い。
(古すぎて自分でも失笑!)

表面上は宴に参加した皆が笑い合ってすましたが
ピリピリ感あふれた、やり取りであったことであろう。
大人の対応は困ったもんだ。香具山は 畝傍惜(を)しと 耳成と 相争ひき  
神代より かくにあるらしいにしへも しかにあれこそ
うつせみも 妻を 争ふらしき」               
天智天皇は、このように詠って大和三山(天の香久山・畝傍山・耳成山)
の「妻争いの伝承」を例に引き、一笑に付した。
大人の対応であったとか。
HOWEVER、HOWEVER(パキスタン式英語)
それって、本当?
天智天皇が死を前にした時に、大海人皇子を呼び出し
息子大友皇子の補佐を大海人皇子に託した。
当然、心の中は、弟君大海人皇子が謀反を起こすだろうと
分かったうえで大海人皇子を(謀反の疑いで)とり除く方針を腹に持っていた。
大海人皇子の方も、こりゃ撃たれるぞと、同じ思いを持ったで有ろう。
この後の「壬申の乱」に至る展開は教科書通り。
この死直前の天智天皇の弟を排除するという決断に、
額田大王との「恋争い」の影響がゼロだったかは誰にもわからない。
あいつは許さん、弟憎しもあったかもしれないと凡夫の自分は思うが。

話は海の向こうに変わる。2015年ODAプロジェクトで
パキスタン(カラチ市)滞在中に、宿泊のベースにした大手ホテルの
営業マネジャー、GOHARさんという妖艶な女性との出会いがあった。
初めて会った時、はっとした。見れば殿方は皆同じ反応だった。
なんともいえない眼力、そして特徴のある腫れぼったいセクシーな唇が、
ハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーさんそっくり。
肌の色もさほど浅黒さも感じさせない。
こんなに似ている人も居るのかと驚いたが、
本人は殿方から同じアプローチを受けてきたと見えて、
こちらからのポーズにはさらりと受け流す余裕があった。
それでも、何時だったか、ホテルの大きなホールで、
遠めの入り口で新しい客への説明をしていた時、
こちらからは、手を振って(君が袖振り)挨拶に代えた。
オーッと驚いたが、これまでの経緯からは、
プロの営業ウーマンらしくないとも思ったが、
右・左と慌てて(誰かいないこと)確認するような仕草を見せたあと
こちらを窘める行動に出た。
イスラム社会もヒンズー社会も、
お行儀が良すぎるくらい厳格な対応を求められた。当たり前ではある。
お行儀の悪い外国人、日本人は問題外だ。
特に男女関係にかかわるアクションは、
外国人は慎重さを求められる。要注意だ。

そうか1350年前の古代大和も現代のインド民族にも
「君が袖ふる」大人のしぐさは、両様、
どうにでも取られてしまうことは変わらない。
特に男女の関係に絡むと要注意なのだと、
鈍い日本人代表の私は改めて気が付いた。
消夏対策にと、「暑い時は熱いもの」をと考えてみたが、
どーもお役には立たなかったようだ。

一つだけ、追記して終わります。
古代大和史を調べてみると、天智天皇の時代は波乱万丈。
白村江667年戦役の話は教科書通り。惨敗だった。
大和の小舟軍団と唐の大型艦軍団では相手にならない。
そのとき、もし新羅が唐に反旗を翻すことがなければ
そして唐・新羅連合軍が余勢をかって統一大和を攻めてきた場合は
唐・新羅に簡単につぶされ占領されていただろう。
その可能性が非常に高かったという話を学者先生に聞かされると、
背筋が凍り付いた。富士急ハイランドのジェット・コースターや
稲川淳二さんの夏恒例「怪談話」よりよっぽど怖かった。
(以上)

投稿者:佐々木 洋 (英米語学科 1973年卒業)

本投稿へのご意見、ご感想等はこちらまで

,