光明子推し―推し活はシニアの活力(和田秀樹氏の言から)


古代史(光明子推し)へのアプローチ
コロナ禍が本格的に始まる直前2020年1月、東京都の「街歩きガイド」の検定を取り、歴史グループに加入したあたりから古代史に近づいた。
それまで興味なかったことから実際はなかなか踏み込めない自分がいた。

隣町・西国分寺にある、「武蔵国分寺」がテーマになり、エーツそんなに近くに歴史遺産があるのと自分の無知に恥を知り、ようやく重い腰に火が付く。
ガイド先生役が、750年―790年あたりには、全国60余国に仏教で国を指導する護国仏教、「国分寺・国分尼寺そして七重の塔が建った時代」です。
聖武天皇、光明皇后の時代ですと聞いた時、何かがおりてきた。

あの時代に七重の塔って、信じられない
高さは67mもあったらしい。江戸城が天守含め59m(現代で言えば20階建相当)ですよ
あの時代に67mの塔って誰が建てたの?
やはり渡来人たちの持ってきた「(建築)技術力」に頼ったとしか考えられない。
大和国60余国に、60m級の塔が建った時代があるなんて武蔵国(狛江あたりか)に住んだ渡来人たちの汗と技術の結晶か、マーベラスの一言。

その年の宮中歌会始お題が、「友」であったのでずうずうしく詠進歌を作り宮内庁に送った。
「友と出会(あ)い 学び歩いた古代史の 大塔(おおとう)建ちし 六十余国」

聖武天皇は、大和国建国時代の実力者・藤原不比等の孫(母が藤原宮子で不比等娘)
皇后になった光明子さんも、藤原不比等の母違いの娘。
幼馴染で育った可能性が高い。
青いレモンの味の子供時代を共有されたかは知らない。

藤原一派の大波に翻弄される聖武天皇を支えながら護国仏教を進める。
国分寺・国分尼寺建設を進める。奈良大仏(華厳)造立もあった。
不比等の邸宅を譲り受けた光明子はそこに法華寺を建て、総国分尼寺(聖武の総国分寺は東大寺)とした。

法華寺には「からふろ」(窯で薬草の入った湯を沸かし蒸気を出すという今のサウナ)があり、光明子の貧民救済・福祉事業です。
先見の明、素晴らしい。
そして、東大寺正倉院(世界遺産)日本のお宝・貯蔵庫を残してくれた。
中國ペルシャ・インド・ギリシャ・ローマ・エジプトまで広がる当時の万博級お宝の山を奈良に集めた。
正倉院にある、蘭奢待(香木)は、ご存じの通り信長が惚れ、足利将軍、家康も惚れ、なんと明治天皇迄その魅力にかなわなかった天下一のお宝だそうです。
聞けば、この6月から11月にかけて大阪(歴史博物館)、上野の森美術館で蘭奢待(正倉院展THE SHOW)が見られる(香りを嗅げる)という、ご協力いただいた香料専門会社さんには感謝し、歴史を積み重ねてきた香りの頂にアプローチしたい。

光明子さんをいえば限りない。
中國の書道の神様、王義之作品「楽毅論」を書写した物があるという。
王義之の書といえば、中国皇帝たちが愛し最後は土中に埋めたと聞く。
天才王義之の書よりも、線が強くメリハリがきいていると書の専門家たちが言うから
なんとまあ。

最後に、四文字からなる元号があるって知ってました?
中國の則天武后が始めた四文字元号に倣い(天冊万歳、万歳登封、万歳通天などの元号)
女性皇帝をリスペクトした証=ジェンダー問題の先取りにも見える。
天平時代の元号(大和国で初めて)
天平感宝
天平勝宝
天平宝字
天平神護 等があるそうです。

最後の最後に、花の寺でもある法華寺にある十一面観音像は、平安時代に光明子をイメージに彫られたといわれます。
足の親指が反り返り今にも前に進もうというお姿の像、まだ見ていなく、こちらも訪れたいなと思っています。

投稿者:佐々木 洋 (英米語学科 1973年卒業)

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