台湾支部懇親会


後列左から謝億榮(J-1999)、欧千華(研究生2002-2004)、永吉美幸(C-2001)、呉意雯(J-1995)、林欐嫚(聴講生1997)
前列左から趙順文(GL-1983)、楊麗珮(J-1982)、今出淳一(In-1977)、楊全斌(C-1981)、謝佳玲(GJ-2009))

5月24日、台北市内の台湾料理の老舗、兄弟飯店(Brother Hotel)の蘭花庁で台湾支部の懇親会が開かれました。高雄から謝億榮さん、彰化から楊全斌さんの遠方からの参加者2名に、林欐嫚さんと欧千華さんの初参加2名を加えて総勢10名になりました。

永吉幹事のご采配、楊麗珮支部長の乾杯のご発声でスタートしたこの会、久々の会合ということでまずは近況報告からはじまりましたが、話題は日台の国立大学の交流がはじめて政治大と外語大の間でスタートしたこと。その日本側の一期生が永吉美幸さんだったこと。当時の李登輝総統と中嶋嶺雄学長との交流でアジア・オープン・フォーラムが立ち上がり、ゼミ生らが卒業後もサポートしてきたこと。林欐嫚さんと謝億榮さんが同時期、外語大に留学していたこと。そして直近の大阪万博の台湾館のことなど多岐にわたりました。そこで2次会となりましたが、楊全斌さんが1次会アルコール全般と、2次会ケーキパーティーのスポンサーになってくださってみんな大喜びでした。

ところで本稿執筆者の私は5年間の駐在を終えて6月に帰国することとなりましたが、今回の懇親会は私の送別の意味も込めて開いてくださったものです。
思えば2020年6月、COVID-19の真っただ中に赴任し、隔離生活などもあった後、ほどなくして楊麗珮支部長からお声かけいただき圓山大飯店の懇親会に出席しました。以降、クリスマス会や、青山理事を囲む会などの行事に参加させていただきました。

知り合った李明斌さん(J-1981)から、李さんの留学時代のチューターが私のボート部時代毎日同じ船に乗っていた藤野肇さん(C-1978)であり、彼が合宿生活のなかでもチューターをしていたことを初めて知ってびっくり!他方楊全斌さんからは、日本の高校を卒業して入学したためチューターはなく、奨学金ももらえなかったという話を聞きました。

今まで聞いた話で一番印象的だったのは謝佳玲さんのお話で、あんなにあこがれて留学したのに西ヶ原の校舎をみて正直がっかりした。当時学校の移築を控えていたので、校舎をきれいにすることにお金をかけられなかったのでしょう、とか、当時留学生のために国際交流会館というのがあって月3千円台と激安だったとか、当時のいろんな思い出話を聞くことができました。また蔡元明さん(J-1994)と成田空港で偶然出会ったりとか本当にいろんなご縁がありました。
台湾支部の会合に出席される方は、みなさん外語大での生活を充実して過ごされ、そこを原点としてその後の人生を形成している方たちのように感じられます。また全員が日本の文化や社会をよくご存知で、ご自身のおかれた立場、持ち場で日台の交流に力を尽くしておられます。こうした立派な方たちが、同窓というだけで参加した私をいつも暖かく迎え入れてくださいました。このことに私は深く感動し感謝しています。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。
趙順文老師が詠んでくださった一首を紹介し、今回の発信を終わらせていただきます。「きょうだいの宴の別れまた会ふぞ」

執筆者:今出淳一(インドネシア語1977年卒)

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