「空海という生き方――東洋思想回帰を望む」 その2


(その1 ②の続き)
空海思想へは、代表作『即身成仏義』と『秘密曼荼羅十住心論』(以下、十住心論)の2点が出発となる。前者では「悟りまで三阿僧祇劫(途方もない期間)修行させるのが顕教仏教」であるのに対し、「即身成仏(ありのままで大日如来と一体化」)で可能と説く。「悟り」の境地も釈迦仏教のいう「果分不可説(言葉で言い尽くせない)」ではなく、言語と曼荼羅(まんだら)のイメージで表わせるとする。身体がそのまま「即」如来であること(「即身成仏」)、さらには山川草木、生きとし生けるものが「即」如来の表現であることが、空海の真言密教の根本となる。
後者の十住心論は死の5年前57歳の作で、心の在り方を10段階で分析した。長安留学時代のサンスクリット語と華厳経の師・般若三蔵(はんにゃさんぞう)、及び直接の密教の師・恵果(けいか)との出会いに負う。動植物(畢生羝羊心)から転じた人類の意識誕生・発展史を前提に、小乗(声聞・縁覚)から大乗まで空海は駆け上がる。大乗の開祖・龍樹、中期仏教の巨頭・世親の「唯識・阿頼耶識(あらやしき)」の壮大な理論の壁を越え、長安時代に学んだ華厳経(般若三蔵漢訳『四十華厳』)を仏教の核心的教えと認知し、ライバル最澄の天台宗も包含し仏教ニヒリズム(否定的宗教観)を超克する真言密教(いたずらに空や無に走らず「有」を残す肯定的宗教)」を最高位に位置付ける信仰パルテノンを築いた。従来仏教は現世否定、世界を「苦」として否定(鎌倉仏教以降)してきたが、否定してなお残る「常住する存在」が空海思想の核心である。
三島由紀夫は自死前仏教に深入りし、『暁の塔』(「豊饒の海」3)では世親による唯識・阿頼耶識論(十住心論の第六段階)を活写した。晩年の空海は『般若心経秘鍵』で大乗仏教統合論(声聞・縁覚・天台・華厳・三論・法相すべて包含)を展開、顕教も排除・攻撃せず、全体を真言密教で統合化する試みを「入定」前に夢見たことが浮んでくる。

③ 言語哲学への展望;
長安時代サンスクリット語を学び、梵字の「字相と字義」解釈を究めたことから、言語哲学の道の開拓がはじまる――東洋思想の中で空海の独創性が華ひらく。代表的著作『吽字義(うんじぎ)』では、古代インド文法学、六離合釈(複合語)を最大限活用し、梵字一字に仏・菩薩を当てはめるなど極限まで分析し、言葉による哲学まで高めた。そこでは「阿字(ア音=万物の始源)」には宇宙的絶対神である大日如来を当て、「吽字(ウン音=万物の終極」には4字複合法という表音文字特性を活かし仏道核心である因縁、本不生、無我、無常の意味の深みまで迫る(詳細は「吽字義」参照)。
外国語学徒の一人としては、空海言語哲学理解は今後の課題、「梵字悉曇字母幷釈義」から空海が如何にして梵字音が大日如来の言葉に代わるのかを読み解きたい。
井筒俊彦博士はイスラム神秘主義や思想研究の泰斗で、東西学者が参集したエラノス会議のメンバーであったが、晩年空海の真言哲学に関心を示し「空海思想は東洋的文化財の一つ。言葉の表層的構造よりも深層構造を第一義的問題として言語と存在の深みに迫ってやまない」と評価。宗教思想哲学アカデミズムでは空海研究成果が少ないようにお見受けする。だが幸田露伴、岡倉天心、内藤湖南、南方熊楠、菊池寛、亀井勝一郎や最近亡くなった松岡正剛等、支持者は意外に多い。物理学の湯川秀樹博士も空海はダヴィンチを超える天才と書き記す。最近の物理学の世界では量子重力物理学で宇宙138億年史と素粒子の関係性解明が進み「物質と真空エネルギー」の謎に迫っている。空海思想との交差を感じさせ、いずれ宇宙と人類の未来をテーマに研究が進むとわくわくしている。

空海は62年の生涯で、宗教論では華厳経の理事無碍から事事無碍法界の極限まで追った。しかし「有理無観(理論完璧なるも観想実践が伴わない)」の華厳経に空海は密教の儀礼・実践体系を加えた。毘盧遮那仏に代わる新絶対者として真言密教の「大日如来」が登場し、即身成仏を促す。当時世界最大の国際都市長安に蝟集した世界のあらゆる宗教—西域経由のゾロアスター教、マニ教、イスラム教、キリスト教(景教)に加え中国華厳(法蔵や澄観)―の華々しい異文化との出会いの中で、空海真言哲学の種はまかれた。奈良東大寺は南都六宗の華厳本家であるが、空海が嵯峨天皇時代に同寺別当をした経緯から密教「理趣経」を読経し、その習慣は1200年前から変わらずにあるという。東大寺の現風景も「華厳と密教の繋がりの強さ」を示す。

最後に華厳の絶対神・毘盧遮那仏(ヴァイローチャナ)の氏素性が阿修羅から来ていることを追記して終わりたい。5000年も前の時代、ペルシャで起きたゾロアスター教の絶対神アフラ・マズダ(光の神)がインドに入った時に、この「アフラ」がインド語的に「アシュラ(阿修羅)」に翻訳されバラモンの時代に「善なるインドラ神にやられる悪神阿修羅」にインド民族が貶める時代に入る。阿修羅が華厳の世界(シルクロード・ホータンの地で誕生)では、改めて絶対神ヴァイローチャナとして蘇生するという興味深い歴史がある。東洋思想のおもしろさ、そして神仏世界のなんと逞しい生きざまかなと脱帽する。

投稿者:佐々木 洋(E1973年卒業)

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“「空海という生き方――東洋思想回帰を望む」 その2” への2件のフィードバック

  1. 真言宗僧侶の立場からとても興味深く読ませて頂きました。いつかご縁があって実際にお話で色々お伺いできると面白そうだなとも思いました。

    菅梅 章順 中国語2003年卒

  2. 空海の古代宗教哲学は、主として中国人がシナ人的解釈による中国語への翻訳仏教を日本に持ち帰った中世鎌倉仏教とは違って、直接サンスクリット語によって仏教を理解したものと思われる。従ってアーリア人宗教である、神に呼びかけるリグベーダからベーダンタ、ウパニシャド、インド思想の本流、最後にヨーガとなる、ブラフマンとアートマンの最終的合一(即身成仏)が真言密教となったのではないか。宇宙の森羅万象を象徴として言葉で捉えたものがマントラになった。言い過ぎ。はたまた誤解。乞容赦。

    木村 彰文 アラビア語1970年卒業