能登半島の被災された方々の早期復旧祈ります ――能登地震被災に思いを・ヒト族の記憶とは――


歌人の俵万智さんの歌で好きな一首に、
 「地ビールの 泡(バブル)やさしき秋の夜 
  ひゃくねんたったら だあれもいない」 がある。

個人的には、コロナ禍4年近い期間で、いつの間にかなくなっていた(葬儀に参加も出来ずに後で知った)叔父叔母がいる。東北から東京の大学に出てきた自分には正に東京生活での父であり母であった。実の両親以上に身近に接した二人との東京生活、忘れられないが、何時まで覚えていられるのだろう。今はいとこ(叔父叔母の一粒種)の顔見る度に二人を思い出す。

さて、1月1日の能登地震だ。被災にあった多くの皆様のことを思えば胸が痛む。復旧復興の早く進むことを祈る。昔、科学者の寺田寅彦が、「天災は忘れたころにやってくる」を唱えたのは皆が知っている。

実際はどうなのだろうか。
今回の能登大地震は震度7。
これまでの震度7以上の大地震は以下の通りだそうだ。

1923.09.01の関東大震災
1995.01.17の阪神淡路大震災
2004.10.23の新潟大地震
2011.03.11の東日本大地震
2016.04.14の熊本大地震
2018.09.06の北海道大地震

一覧すれば日本列島全土にわたっているのが判る。

日本列島はこの100年で7回、15年に一度、大地震に見舞われている。

上記の寺田寅彦、科学者が「日本は20年に一度は大地震が来ることが判っている」と主張し、それでも国民の大多数がすぐに忘れてしまうことを勘案し、講演の都度、このセリフを唱えていたらしい。

私自身のことを言えば、1960年5月24日の朝、チリ地震津波が東北海岸を襲ってきたときに、かつて昭和8年(1933年)、27年前に起こった三陸津波被災のことは町の古老の誰一人覚えていない、ということを悟った。

わずか30年ほどのことにもかかわらずだ。

我々東北人は、その後51年経って東日本大震災で再度自然の破壊力をまざまざと見せつけられることになる。子どもの頃の楽しい夏休みで遊んだ浜辺の思い出と、いったんワタツミが牙を剥いた時の記憶、想像もつかない青黒い20メートルの高さで街に襲い掛かってきた津波の顔とが同じものからきているとは容易に理解が出来ないでいる。

人は忘れる動物であるとはうまいことをいうもんだ、

だが悲しい出来事だけは忘れないでいるのも事実だ。

何時か記憶をなくし、いわゆる認知症が出てくれば、この暗い記憶もなくなるのだろうか。

俵万智さんの「ひやくねんたったらだあれもいない」が
「ひゃくねんたったら何も記憶にない」ことになることを
自分の記憶力で確かめたいと思っている。

投稿者: 佐々木  洋 英語 1973年卒業

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