東京外語大・旧西が原キャンパスから六義園、そして本郷・東大へ

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ロシア語科1967(昭和42)年卒の同窓会、名称:「望露会」は、定年退職後会員の親睦と健康維持を兼ねて「トレッキング部」を発足させ、日帰りか一泊で「山登り」と「温泉」と「酒」をフルコースとして楽しみながら12年間で100回を数えました。その記念と「外語会・総会」での50年慶祝組の行事に合わせて、山梨の「身延山」に登山した時の様子を一昨年6月にもこの「会員便り」に寄稿させていただきました。今回はその続編になりますが、特に昨年末の109回例会には大勢が参加してくれ「拡大望露会」となりました。70代後半になってさすがに登山回数も半減してきたとはいえ今年もなんとか続けたいものです。

(1) 昨年12月のトレッキング例会は日頃の山登りではなくて、東京都内の「駒込駅」から「お茶の水駅」まで街中を10キロ以上歩くことにした。東京なら参加者も増えるだろうし「忘年会」もにぎやかになりそうだと期待して。今回のテーマは「50年前にタイムスリップしよう」で、我々が学んだ東京外語大の跡地「北区西が原」に集合し、明治時代の開校の地「お茶の水・昌平坂学問所」までをたどるコースだった。この道は私たちがよく「巣鴨」から路面電車に乗って神保町の「ナウカ」や古書街に行くのに利用した。今はその都電も廃止されてその下を「地下鉄三田線」が走っている。
(2) いつものロシア語科同窓生4人(小沼、青山、田尻、尾上)にさらに4人が初参加してくれて記念すべき「109回例会」になった。加藤一夫(元静岡福祉大学・学長)、金山文彦(元ユニバーサル商事社長)、水野正俊(元伊藤忠・モスクワ事務所)、そして乳井正(元NHK放送文化研究所)である。今は北区の「みんなの公園」として親しまれている思い出のキャンパス跡地に、予定の正午懐かしい顔が次々と現れた。昔の食堂に降りる階段のあたりに「あずまや」があり、持ち寄りの弁当でウォーキングの腹ごしらえをした。
(3) 正門のあったあたりに「東京外国語大学西が原キャンパス跡地」のえんじ色の石碑がたつ。8人の記念写真を撮ってさあ出発しよう。向かいの女子高「武蔵野高校」がモダンな校舎になって今は中高一貫の男女共学だった。私たちの前庭だったあたりが高校のコートになっていた。大学本部とサークル棟だった昔の木造校舎の跡地は大きな高級老人ホームに変わっていた。その前の「下瀬坂」を下って、通学路だった「染井霊園」の中を通りわれらがロシア語科の大先輩、日本近代文学の嚆矢「二葉亭四迷」の霊前で手を合わせた。墓碑は「長谷川辰之助」の本名が刻まれた一枚岩の大きなものだった。
(4) 次に向かった駒込駅の「名勝・六義園」のすばらしさには驚愕した。喧噪の大都会の片隅にこんな静寂の大きな空間が残っているとは!ここは江戸時代には柳沢吉保の大名屋敷で「心字池」をめぐる大庭園だった。松の銘木には積雪に備えて縄の「雪つり」がかけられ水面に映って美しいし、燃え立つような紅葉がまだまだ見ごろだった。ここでは仲間の足並みが乱れて予定以上の時間を食った。常連の4人、「北岳」「白馬岳」も私と共に登ったスポーツ万能の青山克也(元住友商事)とフェイスブック用の写真撮りに夢中の田尻肇(厚労省勤務、元住友商事)。「茶屋」に立ち寄り一人甘酒を味わっていた「大魔人」こと小沼利英(あの研究社露和辞典・和露辞典を編んだのはこの人!)。そして最後尾からガラケーでみんなの後姿を記録している幹事の尾上敏起(英語塾主宰、元静岡県立高校教諭)が自由行動だった。
(5) 名勝「六義園」をゆっくり散策した後、「白山通り」つまり江戸時代の街道「中山道」を歩きとおして「本郷追分」から「本郷通り」に合流した。赤いレンガの塀にそって「農学部」と「工学部」を抜けるといよいよ「東大正門」だ。黄色く色づいたイチョウ並木の下を歩いて真正面にそびえる「安田講堂」に向かった。さあ、皆で記念写真を撮ろうよ。「今やっと東大に入れたよ!」とつぶやきながら微笑んだ。私も含めてほとんどがここを受験して落ちた人ばかりだった。しかし乳井君は卒業後「教育学部」に編入学したそうだし、加藤君は外語大卒業後「東大大学院」に挑戦して合格し、さらに5年間研究を続けて国際関係論で「博士課程」を修了した。田尻君の弟・三千夫さんも外語大の「ドイツ語科」から同じコースで努力し最近まで「東大教授」だった。
(6) 夏目漱石の小説にちなんで名づけられた「三四郎池」は、赤や黄色の楓が見事な森の中だった。ここはかつて「加賀百万石」といわれた「前田家」の大名屋敷跡で昔のままだ。池をぐるりと巡って教育学部の校舎前を通り有名な「赤門」をくぐった。再び「本郷通り」を歩いて「外語大・本郷サテライト」ののっぽビルに立ち寄ってみた。ここでは小沼君が今もポーランド語、小松さんがロシア語の講座に毎週参加して勉学に励んでいる。そしていよいよゴールの「お茶の水駅」に向かった。ガラケーの万歩計をみたらなんと2万歩、計画した6キロの2倍で12キロも歩いていた。
(7) 最後の「昌平坂学問所跡」と「湯島聖堂」に着いた頃は薄暗くなって16時の閉門をすぎていていた。加藤君の話で、昭和40年代の「学園紛争」で外語大のキャンパスが閉鎖されていた頃、この聖堂内に外語大の事務局が設置されていたというのには驚いた。やはりここが我々のルーツだったのだ。「お茶の水」駅前にできた「ソラシティ」の地階「エビスバー」に設けた「打ち上げと忘年会」の会場には、かつての我々のマドンナ2人、大森浩子(旧姓堀江、元日本航空モスクワ路線)と小松あやめ(元ロシア通商)が駆けつけて8人の快挙を祝ってくれた。

投稿者:尾上敏起 ロシア語 1967年卒業

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