ここ数年、海外派遣社員業を営みながら、作家業の二足の草鞋をはいています。このたび、日本で取材し、カタール、ベネズエラで書き継いだ拙著『東京ドヤ街盛衰記―日本の象徴・山谷で生きる』(筆名 風樹茂)を発刊しました。
日本の貧困政策など、海外諸国との比較なども記載しているため、外語会のみなさんにもご紹介させていただきます。
本書は10年前に知り合った山谷のある労働者の生死の真実をむしょうに追ってみたくなったことから、山谷とその故郷を踏査した結果できあがった記録です。これで中公新書ラクレシリーズは、3冊目となります。
内容は、昭和30年代のはじめに山谷に流れ着き、今世紀初めに死んでいった男の半生に託して、山谷の変貌を描いたものです。
かつて日雇い労働者の寄せ場だった集団非正規雇用者の街山谷は、今は、海外からのバックパッカ―と生活保護によって支えられています。
老齢化、人口減少を毎月落ちて来る5億円の生活保護費と外国人旅行者によってかろうじて相殺しているのです。それは日本の今と未来を暗示しているようです。
また、山谷が私に思い出させたのは、かつて2年半ほど滞在していた、世界一の銀山Cero Rico擁したボリビアのポトシです。ポトシは、ヨーロッパに価格革命を起こし、イギリスの産業革命の礎となった、「世界でもっとも多くのものをあたえながら、もっとも少ししかもたない都市」です。(『収奪された大地』E・ガレアーノ 藤原書店)
世界史に及ぼした巨大な影響からして、規模は比べ物になりませんが、山谷もその労働者が収奪されたという意味では同じです。山谷、横浜の寿町、大阪の西成などのドヤ街は黄金に輝くかつての経済発展に捧げられた供物なのです。今は、貧困の中に老人たちが静かに佇んでいます。それは日本の象徴でもあります。
そんな日本の行く末は―ポルトガルのように、「なに、日本の失われた10年などたいしたころはない、おれたちは200年以上、失われっぱなしだ」(友人)と覚悟を決めるのか、それとも、無理を重ねて、経済復興を図るのか? 私にはいずれが良いのかわかりません。
もし、拙著を手にしていただける方がいらっしゃれば、ご意見を! 次作のための縁(よすが)としたいと思います。
(S語 昭和56年 黒田健司 kazakishigeru@gmail.com)