5月14日、ゲルマニア会の世話人会が開催された。この「懇話会」は毎回非常にsophisticateされた内容になる。今回のテーマはハンナ・アーレント論。
講話者はアーレント研究の第一人者、矢野 久美子氏。昭和62年(1987年)にドイツ語科を卒業され、現在はフェリス女学院大学国際交流学部で教鞭をとっておられる。昨年、岩波ホールで上演されたアーレントの映画が静かなブームとなり、また12月には矢野教授のインタビューが朝日新聞に掲載されたことから、幹事らが講演を打診したところ、快諾してくださった。
ハンナ・アーレントは、20世紀を代表する政治哲学者。1906年ドイツ・ハノーファーに生まれ、バルト海沿岸のケーニヒスベルク(現在はロシア領)で育つ。1920年代にマールブルクやハイデルベルク大学等で哲学や神学を学び、ハイデカーやヤスパースに師事。1930年代始めはベルリンなどで研究生活を送っていたが、ユダヤ人であったため1933年にパリに亡命。しばらくはパリで、シオニスト組織で働いていたが、1940年にアメリカへ亡命し、その後は、アメリカを拠点に活動した。
このアーレントという人物、理解が一筋縄ではいかない。
ユダヤ人中流家庭に生をうけ、祖父母とシナゴーグに礼拝に行く一方で、両親の友人から社会民主主義の薫陶を受け、そうかと思えばキリスト教徒のベビーシッターと日曜学校に参加するなど文化・宗教の混交する環境で育った。
大学に進学してからは、指導教授のマルティン・ハイデガーと程なくして恋に落ちている(不倫関係)が、ハイデガーの妻は反ユダヤ主義者。そして、ハイデガー自身も、後(1933年)にナチスに入党している。
18歳の時に尊敬する教授と恋におちたのは良い(?)としても、一般には理解しにくいのがその後の行動。第二次大戦後、1950年と52年に訪欧した彼女は、わざわざハイデガーと再会しているのである。しかも、ナチス関与の責任を追求しようとする人々から(その件はひとまず置いて)ハイデガーの思索の価値を擁護しようとすらしている。 元カレに対する女性のありがちな感情といえば、週刊誌ネタとしてはうけるが、そういうレベルで論ずべき人間ではない。また、「ユダヤ人」であることに重きをおいていなかったかと言えば、それも違う。親しい友人は彼女をdeutsch-jüdische Amerikanerin(ドイツ・ユダヤ系アメリカ人)と呼ぶこともあった。そんな彼女のアイデンティティを「抹殺」するような暴挙の限りを尽くしたナチスを積極的に支持した人と会い、その思索の価値を弁護する、なかなか真似できる芸当ではない。
執筆者: 大塚美絵子 ドイツ語 1984年卒業
投稿者: ゲルマニア会世話人幹事 能登 崇 ドイツ語 1966年卒業