著作Invisible Chinaに触発されて

この極月は、春待月、来年に向け何を夢見ようか

世界の経済力規模は、建国以来世界一になりたがる米国という実験国家を除けば
アジア3大国が順繰りにその存在を現出している。

1970-80年代の日本国の世界経済第二の地位まで上ったが、その後発展目覚ましい中国(共産党政府)が2010年にとって代わり、米国の背中すぐそこまで追いつめている。
インドは、期待されているが、欧州の大国フランス、英国を抜きドイツの次の世界5位まで射程に入ったがちょっと足踏み状態にある。中国に代わって世界大国を目指せるかはまだ見えない。
インドは、世界一の民主主義国家・人口大国であるがゆえに時間がかかるのは仕方ないこと、インド民族のいる亜大陸を眺めれば、トップの位置に固執することに意味を見出していないのがインド流と見える。

インドの難しさには、「カースト制度のくびき」を考えざるをえまい。
インド大陸へのアーリア部族の侵入から始まったカラーによる差別、大航海時代の欧州白人キリスト教民族による支配の手段となったカースト制度のくびきから抜け出せる日は来るのだろうか。

投稿者: 佐々木 洋  英米語 1973年卒業

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ウクライナを支援する学生団体の紹介とご支援のお願い

東京外国語大学大学院 修士1年の片貝里桜(かたがい・りお)と申します。

ウクライナ人道支援を行なう学生団体「Student Charity for Ukraine」についてご紹介させてください。

Student Charity for Ukraineは、今年10月に日本財団ボランティアセンター主催のプログラムでポーランド、ウィーンにてウクライナ難民支援のボランティアをした学生が中心となり、帰国後もウクライナのために何かできないか、という思いから、結成されました。日本人学生だけでなく、ウクライナ人留学生とも協力しながら活動しています。
・公式ホームページ:https://studentcharityforukraine.wordpress.com/

現在、弊団体では、「ウクライナに防寒着を送ろう」という活動をしております。
最低気温-20℃にも迫る厳冬が迫る中、ウクライナ国内には約650万人もの国内避難民の方がいらっしゃいます。彼らの中には、家から逃げる際に持ってこられなかった、職を失って服を買うお金がない、といった理由で寒さをしのぐための十分な防寒着を持っていない方も多くいます。それに加え、社会インフラを狙った攻撃により、ウクライナ国内の約40%の発電施設が被害を受けており、暖を取るのに不可欠な電力が不足している状況です。
本活動は、このような厳しい寒さに震えるウクライナ国内避難民の方々を少しでも助けられるよう、現地提携団体(Uaid Direct)の協力のもと、日本から防寒着を送る取り組みです。現地で古着の防寒着を購入するよりも安いコストで輸送できるため、金銭的な支援ではなく防寒着を直接届けることにしています。

全国各地の大学で防寒着と輸送費を集め、すでに565着の防寒着を送ることができました。現在も、寒さが最も厳しくなる2023年1月前半までに1500着を送るために活動を続けています。
ただ、学生の協力で防寒着は着々と集まっていますが、それを送る資金(残り60万円ほど)に不安が残るため、現在は募金活動に力を入れております。そこで、東京外語会の皆様、またお知り合いの方々の力をお借りできましたら幸いです。ご寄付の振込先は以下になります。

振込先: 三菱UFJ銀行 成城支店 (132)
預金種目:普通
口座番号:0588204
口座名義:スチユーデントチヤリテイーフオーウクライナ ミヤケ ダイキ

また、ご寄付いただいた方にはのちほどお礼メールと併せて収支報告書をお送りしますので、次のGoogleフォームにご記入をお願いできればと思います。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSc8xsqlbvFDHXLQE1B5_67pTniyNmZKAdGYfwtRhxqWhRd_wQ/viewform

大変不躾ななお願いで恐縮ですが、ウクライナの方々が厳しい冬を乗り切れるよう、どうぞ本活動へのご支援・拡散にご協力いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。

Student Charity for Ukraine
投稿者:片貝里桜 東京外国語大学大学院修士1年
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「オペラ・トーク」―フランス・オペラ 『ぺレアスとメリザンド』―

この度、フランス人ドビュッシーの唯一のオペラ 『ぺレアスとメリザンド』 が7月に新国立劇場オペラ・パレスで上演され、それに先立ち、「オペラ・トーク」のライブ配信が行われました。(2022年6月25日)

新国立劇場オペラ芸術監督大野和士氏が自ら指揮を務めた、日本でのフランス語による貴重なオペラ上演は、オペラ・ファンにとっては大変意義のある、興味深いイベントになりました。因みにオペラとは、イタリア語で「作品」の意味とのことです。

このオペラ・トークは大野和士氏が司会進行を務め、本学出身の村山則子氏(F1968/昭43) と川竹英克氏(F1977/昭52) ご夫妻(奥様はフランス人のジョジアーヌ・ピノン氏)が招待・参加されています。

トークの進展に応じて、アンチ・ワグネリアンになったドビュッシーが、フランス語によるフランス音楽的なオペラを目指し、当時のフランス象徴主義演劇を代表するメーテルランクの戯曲をいかにオペラ化したか、その歴史的文化的背景を説明。続いて歌手の方たちが各場をピアノ伴奏で演奏し、オペラの中に表される水、洞窟、薔薇、長い髪などの象徴について各氏が解釈、意見を適宜加えて行くものです。イタリアやドイツのオペラとの対比や音楽性についての話も聞けて、全くの素人・門外漢の私にとっても大変興味深く、オペラ理解の参考になりました。

このオペラ・トークは新国立劇場の「You Tube」アーカイブ配信で見ることが出来ます。

URLはhttps://youtu.be/i06pWrV1WfIです。

三氏のプロフィルを簡記し、村山氏の関連著作も一部画像で紹介します。

〇大野和士氏 新国立劇場オペラ芸術監督、指揮者
東京藝術大学音楽学部卒。1987年トスカニーニ国際指揮者コンクール優勝。バーデン州立歌劇場音楽総監督、ベルギー王立歌劇場音楽監督、リヨン歌劇場首席指揮者などを歴任。
現在、東京都交響楽団音楽監督、バルセロナ交響楽団音楽監督、東京フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者も務める。
2017年フランス芸術文化勲章「オフィシエ」、2010年文化功労者など受賞多数。
2022年9月、ブリュッセル・フィルハーモニック音楽監督に就任予定。

〇村山則子氏   音楽評論、また村山りおんとして詩人・作家
東京外国語大学フランス語科1968年卒、東京藝術大学大学院音楽研究科博士課程修了。
『石の花冠』で第5回小島信夫文学賞受賞。研究書、詩、小説の著書多数。 絵画の個展も開催。
東京外語会「会報便り」ご参照。
*『雲井の余所』村山りおん著 2021.2.2
*『ラモー 芸術家にして哲学者』 講演会 2018.8.20

〇川竹英克氏   フランス文学者 明治大学名誉教授
東京外国語大学フランス語科1977年卒、同大学院修士課程修了。
パリ第三大学修士課程修了。専門は20世紀フランス文学。
NHKラジオ第二放送帯番組「まいにちフランス語」で、メーテルランク原作ドビュッシーのオペラ 『ペレアスとメリザンド』 の台本を半年間かけて丸ごとテキストとして使用。
仏友会会報誌LA NOUVELLE No.28 に掲載記事「フランス人は合理的か」
(2022年4月1日号)

投稿者:金澤脩介  フランス語1968年卒業

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外語大と英語への思い-回想2022年

この度、外語会「会員便り」に寄稿ができる機会がありましたので、80歳に近づく高齢ながら、今なお現役で頑張っている私の今日までを紹介できる機会と思い、挑戦することにしました。
私は外語大を出た昭和42年(1967年)から、55年が経ちました。その間、私が好きな英語を通して、世界のほんの一隅で仕事や旅ができたことに対して、良かったと思っております。
今も私は、外国人旅行者を受け入れるインバウウンド事業を行っており、世界とつながっていることを楽しんでおります。
幸いにも、今日まで健康に恵まれ、体を動かしながら世界から来る外国人旅行者に会えることに生きがいを感じており、また元気ももらっている次第です。

初めに、米国等海外では年々の同窓会には、世界から卒業生が集まり一日を楽しみ、中には自分の財産を大学に寄付する習慣があることを聞いており、それに比べて、自分は社会に出てから外語大にどんな恩返しをしたかを思うと恥かしい限りです。残された人生で元気な限り、最後まで恩返しを続けてゆきたいと感じております。

私はこれまで英語との出会いは私が12歳の中学時代からで、学校での英語と夜には米軍向け英語ニュースFENを聞き始めた時から始まりました。今日まで、65年間もの間、日々の生活で英語が使えるのを楽しんできております。
日々動いているせいか私は、いままで病床に付したことがなく、この年齢になっても社会の中で揉まれながら元気でいることにありがたさを感じる日々です。
外語大を出て社会人になり、英語のお陰で米国に留学と仕事で合計12年住むことができ、その後ロンドンで仕事に就くことができました。この14年余の間に、毎シーズンに欧米大陸を車で家族旅行ができたことは、かけがえのない思い出となりました。ただ、振り返ればよい思い出ばかりではなく、悪い思い出も味わう事があり、苦楽に満ちた年月であったと懐かしく思い出しております。
その後自分の仕事を持ち、今日まで15年ほどインバウンド事業を、続けてきています。
しかしながらこの2年間はインバウンド業の死滅の時期であり、それがようやく終わりに近づき、まもなくコロナ禍の2年余りの地獄から、いよいよ復活に向け立ち上がる時期へと動き出している様子が目前にきております。すると、また忙しい毎日が戻り、世界から30名、50名、真夏には100名もの旅行者が世界の6大陸から、我が宿に来るのが見える今日この頃です。
私は、世界から来訪してくれる旅行者とはよく話し、多人数の時はカレーライスパーテイを行ったりして、2時間ほどの司会で皆を楽しませるすべを持っております。これは、外国人がお相手で、英語でできるからで、日本語では到底できません。外語大のお陰と言えるでしょう!
パーテイーのクライマックスは、私の生死の分かれ目となった2度の“奇跡的”な体験を話します。すると皆が聞き入ってくれるので、話し甲斐があります。
その奇跡の一つは、東京大空襲での私と言うより家族の体験です。もう一つは世界貿易
センタービルの空爆と2つのタワー崩壊にかかわる大事件からの奇跡です。
これ等の2つの奇跡的な出来事から逃れた私が、今日まで元気にいられるのは、まさに
奇跡的幸運のひと言に尽きると思います。
私の両親は、盆踊りで有名な郡上八幡【ぐじょうはちまん】の生まれでしたが当時日本全体、とりわけ田舎では食べてゆけない状態でしたので、太平洋戦争開戦の数年前に浅草に単身で移り商売を始めました。そして、終戦の年の3月の東京大空襲の4カ月前まで浅草で廉売【今で言うスーパー】事業を順調に行っていました。
所が、昭和44年、私が満一歳の誕生日の11月のある日に米軍が予行練習として数機で浅草上空での空爆を行いパラパラと焼夷(ショウイ)弾を落としたのです。その爆弾に、不幸にも我が家が当たり全焼してしまいました。
父親はこの初めての空爆の更に6か月前に米軍機が落とした空爆の警告用ビラが空から降ってくるのを拾いあげ、隠して持ち帰り家で読んだら空爆の予告でした。それを見て、父親は子供の時に故郷の郡上八幡(岐阜県高山の隣町)での大火により町全体が全焼したことのおそらしさがよみがえってきました。
この過去の恐怖から、浅草は焼けるとのとっさの恐れがよみがえり、すぐ疎開を決意して、郊外の松戸に土地と古い家を買い、6か月後にやっとでき上がりました。そして明日は私の満一歳になる日で松戸へ引っ越すため荷物等すべてを梱包してあったところ、その前夜の夜に、 浅草地区全体が真っ赤になって焼けている様を父親が松戸で見ました。不運にも、私の家が数機の予行空爆に当たり焼夷弾により全焼したのです。母はこの時、“なぜ我が家だけが焼けなければならないのか!”と泣き叫び長く病床に付したとのことです。
この時、父はやっと古民家の建て替えが終わった状態で松戸におり、浅草での消火ができなかったため、完全にまる焼けとなってしまい、私たち子ども6人は着の身着のままとなり松戸に向かいました。
11月21日にこの家がまる焼けになったその翌日が、私の満一歳の誕生日でした。
尚、奇跡はこの後です。翌年終戦の年3月に入り、浅草は300機もの大空襲により、町は全滅し、隅田川に飛び込んだ人も全員“1晩で10万人以上”がなくなりました。その時の火の勢いは、今のウクライナよりひどかったと思います。
私と家族は、松戸に移り住んでいたためお陰で、奇跡的に生き残りました。
あと4カ月遅れていたら、私はこの世には、いなかったと過去を思い出します。

実はもう一つの奇跡的な出来事がありました。私はニューヨークの世界貿易センタービル108階の最上階のオフィスで、インベストメントバンキングの業務を数年間しておりました。
この世界一高いタワーは、イスラム人パイロットに乗っ取られた民間飛行機が88階に突入し燃え上がり、遂に崩壊しました。これが9.11事件の日です。88階以上にいた多くの方が犠牲となられた痛ましい事件です。私は、この事件の7年前に事業の為に日本に帰国しました。この7年の差は私にとり、運命的なものとなりました。
この2つの奇跡的な出来事は、私が忘れようのない今日までの人生最大の危機です。
結びとして、私は、アメリカで10数年間住んでおりましたが、1年ほどトランプタワーで自分の通信事業を始める機会がありました。ある日不動産王と言われていたトランプさんのあたらしいタワー新築の祝賀会に出る機会があり、その時トランプ氏がシャンペーングラスを持って、私のワイフと乾杯しようとする際、着物姿のワイフに“ Oh!Pretty !” と言われたことを【ワイフは】今も忘れられません。
またイギリスロンドンでは、OXFORD大学に留学中の皇太子さまに逢える機会があり、これもWifeが着物姿で出かけたところ、ワイフだけが握手することができました。
皇太子さまは当時独身の身であり、出来るだけ多くの女性とは笑顔で握手をしていました。
でも緊張のせいか、Wifeがどんな言葉を頂いたかは覚えておりません。
これらの2つの出会いの思い出は、(トランプ氏のその後の評判は別として)、今もわすれることなく、2つの奇跡と共に、あの世まで持って行きます。

次回にお会いする日は、5年後、10年後か、現役が続いているか分かりませんが、自分の人生の終わりが何歳になるか、あと何年が残された日々なのかを予想しながら、最後まで元気で働き続け、本当の最後の際にはもう一度、さよならを言いに参ります。
今世界から、“日本は、世界の中で、最も良い国、石版行きたい国との評価や実績があります。これ等の”言葉が身近に聞こえるのは、日本人として本当にうれしく誇りに思います。
外語大生は、世界で羽ばたき、世界で活躍する機会に恵まれており、大いに期待しております。
なお、外語大生の国際的および国内での活動・活躍などのニュースは芸能面も含めて、とりわけ聞き入っており、今後も期待をしながら、日々を元気でいきて行きます。
また、私ができることは、お手伝いいたします。
いま、ウクライナ人へのお部屋の無料オファーや、わづかな献金などもしています。
外語大関係の外国人を含む方々への必要なHelpができますので、声をかけてください。

川上俊夫 東京ゲストハウス2020 【荒川区】 経営者 E1967
Tel: 090-8175-9457  Email: usfp@nifty.com

投稿者: 川上 俊夫 英米語 1967年卒業

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