・皇居歌会始
国民と皇室が一体となって年始に歌会を行う国が他にあろうか。
毎年、「お題」を決めて9ケ月かけて全国の国民からの詠進歌を募る。応募者は中学生からシニアまでと幅広く、和歌好きな2万人近い方から5・7・7・7・7が届けられる。例年1月20日前後の良き日に皇居松の間で選者に選ばれた栄誉ある国民の歌が10首披露される(他に佳作10数首選ばれる)。
2025年のお題は「夢」。
入選者10人のうち、10代の方は若者の気持ちを「掠れた夢の字」で表し、70代の方は地元信州の地でのマエストロ小澤征爾氏活動に夢を託した。
皇室側をと見れば、愛子内親王の
「我が友とふたたび会はむその日まで追ひかけてゆくそれぞれの夢」と、ご友人との生き方の道を描きながら。夢のいろいろが今年は1万7千首に凝縮された。
選者の永田和宏氏は、「国民の夢」を多くの応募作から読み解けば、皇居にきて両陛下に会えることですと雅子皇后にご披露し、皇后の優しい笑顔を引き出した日のことをどこかに書いておられた。
・全国に広がる歌詠みの波
2024年の昨年はお題が「和」、愛子内親王は
「幾年(いくとせ)の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ」とした。
大きな歌つくりだなと感動。将来世代から押し寄せてくる希望を感じさせる。
さて、世の中を眺めれば最近のSNS世代による歌つくりの大いなる広がりもまた嬉しい驚きだ。例えば令和を代表する歌人俵万智さんと若者世代、ホストたちとの歌会を通じた歌集『ホスト万葉集』誕生はどうだろう。代表的な作品を万智さんに選んでもらうと
「ごめんね」と泣かせて俺は何様だ誰の一位に俺はなるんだ」
「嘘の夢嘘の関係嘘の酒こんな源氏名サヨナライツカ」
おじさんはウーッと唸るしかない、やるな若者たち。確実に全国に広がっていく歌の広がりに驚き、感動が止まらない。
・歌詠みの伝統と歴史
日本の歌詠みは、万葉集1300年も前からの伝統が続いていると、JICA代表時代の北岡伸一氏が海外文化交流の場で、外国の若い世代に説明というより自慢している場面を見た。(各国それぞれ伝統文芸はある、インドのマハーバーラタ等。)
花を詠ったものは萩・梅・橘・松の順で多く、桜の歌は10位というから今の方が聞けば驚くかもしれない。長い歴史をかけて編まれた数多の朗詠集、古今集、新古今集などに接し、国民の多くはその国柄に頷かれるだろう。
そして日本人の多くが、和歌といえば、櫻花を詠い続けた「西行」の生き方を
思い浮かべるのではないかしらん。
専門家によれば西行の桜の歌は230首、松の34首や梅25首をはるかにしのぎ「桜狂い」にあったようだ。
当時の後鳥羽院の口伝に、「西行は生得の歌人、不可説の上手なり」、
藤原俊成には「心幽玄に姿及び難し」とうたわれ、世の中に浸透してきた。
・西行の歌
専門家のご意見を聞かされ、はっとさせられることもしばしば。「西行学会」があるとは驚きだが、世に如何に西行好きが多いことかと感心し、ここは白洲正子さんと小林秀雄氏にご登場願う。
能演者で日本文化・伝統に詳しい白洲氏の西行論――
北面の武士から出家したのに仏道に打ち込まず、稀代の数寄者であっても浮気者ではない。強いかと思えば涙もろく、孤独を愛しながらも人恋しいという、矛盾だらけ、つかみどころがないとおっしゃる。正直に力強さをもって不徹底な人生を生き抜く苦しみを歌に詠んだ人生だったと総括する。
続いて学生時代に親しんだ小林秀雄氏の西行論はと見れば――
核心部分は、「いかにすべき我が心」を生涯の呪文となし、得意の花月を詠んでも、「いかにすべき我が心」と念じていたという。自然は彼に問い、謎をかけ苦しめた。彼を孤独にした。彼の見たものは、常に自然の形をした歴史であった。いつもながら硬い文章だ。
最近では編集家の松岡正剛氏の西行像を聞く。彼の謂いをそのままなぞると――
西行は、「心を知るは心なりけり」という見方だ。歌において「有心」とは風情に心を入れることで、それを「心あり」とも評するが、西行は満足しなかった。西行はそのようにしか言い表せないものがあることを早くから見定めていた。
これら諸氏のご意見に接し少々疲れを覚えた。
今はただ西行の歌詠みに浸りたい。
「春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸の騒ぐなりけり」
「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」
(陰暦2月16日仏陀入滅頃死す)
西行の「心は心なり」(出家時)に思いを致さば
「心から心にものを思はせて身を苦しむるわが身なりけり」
「惑ひきて悟りうべくもなかりつる心を知るは心なりけり」
晩年、伊勢二見ヶ浦草庵に6年滞在、神宮で詠んだとされる
「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
「神風に心やすくぞまかせつる桜の宮の花のさかりを」
さて若い世代から「和歌の言葉は心に響きぬ」と、大きな歌詠みを
示されたからには、今後更に多く和歌に接し
いつの日か西行のこころ迄到達される日を待つ事にしたい。
投稿者:佐々木洋 英語 1973年卒業